❏❏❏ 回顧録:2007年3月28日 東京・自宅
私という最終ステージまで進行したがん患者が、一人自宅に取り残されることになった。
これも家族のインフルエンザを、私に感染させないが為の苦肉の策だ。
結局、我家はバラバラになった。
もし、がんでなかったら、そこまではしなかっただろう。
妻たち3人は、タクシーで実家に行ってしまった。
そして、比較的元気な娘は、その後仲良しの姪と一緒に親戚の家に移った。
姪と一緒なら、娘も楽しめる。
親戚たちが、病人だらけの我が家を支えてくれた。
一方、残された私は心細い。
依然として38℃台の熱があり、心身ともに厳しい状態だ。
全てを失ったような気持ちになり、どうしたら良いか解らなかった。
夕方になり、ベッドから起きて、夕食の買い出しに行かなくてはならない。
もうじき4月なのに、セーターにダウンジャケット、毛糸の帽子と、真冬並みの防寒をしてスーパーに行った。
発病してから、買い物は全て妻がしてくれていたので、スーパーに行くのは大冒険だ。
お弁当を買い、居間で一人食べた。
テレビはつけない。
そんな気分には、全くなれなかった。
重苦しい雰囲気の中、長野県の実家から電話がかかってきた。
「明日の夕方、東京に行くから、それまで頑張って」
年老いた母からの電話だった。
安堵で一気に気が楽になった。