❏❏❏ 回顧録:2007年3月20日 東京・慈恵医大病院

 

一方、2つ目の「3~6ヶ月も入院するなんて長い」は、自分で何かできるような気がした。

 

つまり、入院前に、なるべく身辺整理をしようと考えたのだ。

 

これが、大きな間違いだった。

 

しかし、この時は、そのことに気が付いていない。

今振り返って思うが、冷静な判断なんてなかなかできない。

 

入院前の時間を有効に使おうと思っている私は、このとき、それしか感がられなかった。

 

木村先生は、続けた。

 

「大久保さんは、予定通り、明後日、一旦退院してください。そして、直ぐまた入院しましょう。早速、抗癌剤治療を開始します」

 

身辺整理を考えだした私は、なんと交渉を始める。

 

「先生、すぐ入院って、どれ位すぐですか?」

 

「そうね、2~3日ってところかな。ベッドの空き具合にもよるけど」

 

「実は、息子の小学校入学式が2週間後で、絶対に出たいんですよ。娘の誕生日もその頃だし。だから先生、2週間ください。そしたら、3ヶ月でも、6ヶ月でも、入院しますから。おねがいです」

 

木村先生は「何を言い出すんだ」という顔つきで説得する。

 

しかし、私は、その緊急性が理解できず、なんとか抗がん剤治療による入院を1日でも先延ばして、やりたいことをやろうとする。

 

木村先生は、私の熱意にホトホト疲れ果てて、最後は折れてしまう。

 

正直、こんな交渉をする自分が理解できない。

 

 

この時の私は、相当、混乱していた。

 

癌により色々なものを奪われていく運命に逆らっていた。

大切なものを奪われていく状況に抗っていた。

 

生きてさえいれば、息子の中学の入学式だって出れるし、娘の来年の誕生日だって祝える。

 

しかし、癌により自分の生活が壊されることが嫌でたまらない私は、大きな過ちを犯す。

 

この結果、抗癌剤治療開始は18日後となった。

 

その間は、とても厳しく辛い期間となる。

 

当然、家内と両親はそれに反対していた。

 

もし、この文章を読んでいる当時の私がいたら言ってあげたい。

 

「命さえあれば、次のチャンスがある。だから、1日でも早く、治療を受けなくちゃいけない」