❏❏❏ 回顧録:2007年3月19日 東京・慈恵医大病院

 

「俺の体の中に、3種類もの癌があったんだ、、」

重い気持ちになった。

 

治り難い分類にあることは事実で、良い知らせでないことは私にも解かった。

 

しかし、能天気な私は「既に手術により、癌を摘出したのだから関係ないや」

 

「単体型だろうが、混合型の癌だろうが、もう終わったことだ」

 

そんなくらいに捉えていた。

 

私はその頃、様々な医学専門書を取り寄せて勉強していた。

 

日本泌尿器科学会編集の本、日本病理学会編集の本。

 

しかし、その専門書に書かれている内容を自分の都合の良いように解釈して読んでおり、正直、中立的に理解していたとは言い難い。

 

がん告知から6日。

 

この間、私がしていたことは不思議で醜い。

 

自分の病気と治療についての勉強ではなく、

 

「自分にとって、都合の良い情報集め」的な傾向が強かった。

 

これは、癌告知の初期で、混乱していた時期だからでもあるが、闘病期間を通じて、常に、その引力に引かれていた気がする。

 

つまり中立的な情報集団のうち、自分に都合の良い情報は、覚えておく、

 

しかし「何となく、都合の悪い情報」は、「まあいいや、俺には、関係の無いことだろう」と脇に置いておく、ことをしていた。

 

そういった引力に私は引かれていた。