❏❏❏ 回顧録:2007年3月18日 東京・慈恵医大病院

 

この日、午後になり、妻と子供達が、お見舞いに来てくれた。

 

8歳の娘と、6歳の息子。

 

実は、手術の日が息子が通う幼稚園の卒園式の日で、私は残念ながら行けなかった。

 

来月4月にある「小学校入学式」には、一緒に出たいと思っていた。

 

面白いもので、子供達は私が入院しているのは、脚の骨折の治療だと信じている。

 

親がそう信じ込ませた訳はなく、自然とそうなった。

 

2月に骨折で入院、それからギプス、松葉つえとなれば、自然とその延長で入院していると思う。

 

しかも私は、未だにギプスを付けていて車いすで移動だ。

 

外見的には、がん患者というよりも、骨折の患者だ。

だが、実際には骨折しているがん患者。

 

それに6歳と8歳の子供は「がん」という言葉が何かを知らない。

 

目に見えるパパは、松葉つえをつくか、車椅子で移動するのだから「骨折で入院中」となる。

 

子供達が電動式医療ベッドを上下させて楽しんでいるのを見て「私も、心から楽しめるようになりたい」と思った。

 

それには、早く体温が下がって欲しかった。

 

入院病棟では、見舞い客の面会時間は、20:00迄である。

 

もう、その頃になると、病棟は患者と看護師だけになっている。

 

そんな中、鳴り響くのは電子音の「エリーゼのために」だ。

 

このフロアのナースコールの音である。

 

日曜日は、看護師の数も少なく、看護師補もいない。

 

だけど、がん患者達のリクエストは減りはしない。

 

「点滴が血管から漏れている」

「氷枕が欲しい」

「眠れない」

「吐いてしまった」

 

ありとあらゆるリクエストがくる。

看護師たちは、常にバタバタ走りまわっていて休む暇もない。