❏❏❏ 回顧録:2007年3月12日 自宅
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更新されていないブログの人たちはどうなったのか?
「この人は、まだ生きているのだろうか?まだ、生きていてほしい。いや、絶対に生きている。」
そんな気持ちで、ネット上の情報検索を続けた。
この日、ひとつ気になることを見つけた。
それは、乳首が硬くなっていることだ。
両乳首とも固い。
こんなところ、滅多に触らない。
でも、何か気になって触った。
特別なにか痛かったわけではない。
触れた理由を覚えていないが、触って、固いことに驚いた。
「なんなんだ、、」
変なことが次々と起こる。
もしかして、今まで知らなかっただけで、時々、固かったのかもしれない。
乳首のコリコリしたものは気になったが、熱があるので、それ以上は、気にしないことにした。
一応、妻伝えると、深いため息をついて
「パパは、いろんなこと起こるねぇ」と、笑にもならない表情でこぼした。
これ以上、変なことが起きるのは、妻も耐えられなかったのかもしれない。
詳しい経緯をよく覚えていないのだが、当時、私のことについては両家の両親も知っていた。
私に癌の疑いがあること、
間も無く右精巣の摘出手術が行われることである。
恐らく、妻がそれぞれに電話連絡してあったのだろう。
私は、自分のことで精一杯だったし、熱がずっと38℃前後あったので、両家への連絡などという手間のかかる作業をする余裕は、精神的になかった。
一緒に住んでいない家族に「がん」を伝える事は、骨が折れる。
伝えられる方も大変だと思うが、それ以上に、伝える側が大変だ。
とても気を使うし、心配されるのが嫌だ。
十分以上に、自分が心配しているのに、それ以上に親に心配されるのがきついのだ。
この日、私の実家から電話があり、話した。
いや、話さざるを得なかった。
母の「具合はどう?」から始まった。闘
病期間中の電話でのやり取りは、必ずこの言葉で始まった。
「熱がある。38度2分」
何とも、そっけない言い方だ。
「足の骨折の方は順調だよ。今週、キプスカットが予定されているんだ。そしたら、ソフトギプスというアンクルガードに替わる予定だよ。そしたら、かなり楽になるはずなんだよ。すごく、楽しみ」
癌のことは敢えて話題にせず、骨折の話ばかりする。
私の性格を知っている母は、我慢しながら、
「手術すれば、治るの?」
「そんなこと当たり前でしょ!その為の手術なんだし、そういうものでしょ!」
こういうやり取りが嫌な私は、何とも強い口調になってしまう。
逆に言えば、考えてもいない「手術で治らない事ってあるのかな?」みたいな気持ちにさせられるのが嫌でたまらなかった。