❏❏❏ 回顧録:2007年2月16日 東京・慈恵医大病院

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右足首骨折手術

2007年2月16日、手術の日。

私は、前日から何も食べていない。

食事制限を、受けているからだ。

 

午前中に、グリセリン浣腸を受け、大腸内は空にされた。

なぜなら、手術の際は麻酔を受けている。

筋肉と内臓のコントロール機能を失うと、大腸内のものが垂れ流しになってしまうからだ。

 

若い男性医師がやって来て、左腕に点滴注射、泌尿器に「尿チューブ」を取りつけられた。

 

「先生、これ痛たそうですよ、、なんか嫌だなぁ、、」

「入れるときだけ、一瞬です。管が入った後は、痛くありませんから」

 

同様、麻酔により「尿」も垂れ流しになる。

だから、手術を受ける患者は、男性も、女性も、「尿チューブ」を取りつけられて、点滴棒の下にある「尿パック」に集められる。

 

ホック式の手術ガウンに着替えた私は、ガウンの下は、何も身につけていない。すっぱだかである。

 

恥ずかしいが、「こういうものなのか、、」そう思った。

 

午後になり、いよいよ「入室」の時刻がきた。

病院では、手術室に入ることを、入室と言う。

 

下に車輪の付いた医療用ベッドに横になったまま、運ばれていった。

ベッドの前後に看護師が付き、押していく。廊下を移動し、エレベーターを下る、通路を移動し、エレベーターで上がる。

そして、ついに手術室のある中央棟3階に着いた。

 

銀色の大きな扉が、自動で開け閉めされ、3回ほど扉の中に入ると様相が一転した。

 

まるで、港の倉庫のように、部屋がずらりと並んでいる。

各入口の上に数字が書かれている。

No.17,  No.18,  No.19, と。

中学校校舎の教室群と言っても良いかもしれない。

それぞれが、「手術室」である。

 

「こんなに、手術室があるんですか、、、」

 

今、既にオペ中の部屋もあれば、準備中の部屋もある。部屋によっては、午前、午後と、2回以上の手術に使われることもある。

 

ベッドのまま自分の手術室に運ばれると、中は、まるで、「広々とした厨房」だ。

私は、ベッドから手術台に移動させられる。

横幅、60~70cmの台だ。肩幅とあまり変わらない。

 

「こんな狭い台なんですか、、落っこちゃいますよ、、」

 

無駄なスペースを作らない、作業効率重視の手術台だ。

 

乗ると、なんと背中を着けず左横腹と左脚をベッドにつけて、手術する右足が上に来るようにするという。

 

 

つまり、人間を横に立てたような寝方だ。

そして、ガウンをはがされ、素っ裸の私の横脇を、白いタイルで、次々と「くさび」のように固定していった。

 

タイルの山で、私は、既に動けなくなっていた。

頭上には、テレビドラマでよく観る「UFO」のような照明ライトつり下がっている。

まるで「トンボの複眼」のように小さいライトが無数、その「UFO」の中に、埋め込まれている。

 

それに、「ピカー」っと照らされ、暑いくらいだ。

手の指には、いくつものサックがはめ込まれ、そこから電気コードが向こうに伸びている。

 

そして、手術台の周りを囲むように電子機器があり、各々「ピッ、ピッ、ピッ、、」と発している。

 

まるで、オーケストラである。

 

次に、麻酔科医が私の腰椎に針と麻酔を打ちだした。

徐々に、腰から下が重くなり、やがて、下半身が消えてなくなったかのような感覚になっていった。

 

だんだんと、恐ろしくなっていくのが解った。

手術、、怖い。

それを実感していた。