❏❏❏ 回顧録:2007年2月11日 長野県軽井沢
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妻が運転する車に乗り換えて、私は病院に運ばれた。
彼女はホテルで事前に近所の病院がどこにあるか確認していた。
到着すると、病院はお休みだった。
2月の3連休、病院も休業していた。
救急の窓口で事情を説明し、長椅子に腰を下ろした。
確か、私は横になっていたはずだ。
足を下にしていると、ドクン、ドクン、心拍のたびにうずく。
それが嫌で、横になっていた。
妻と6歳、8歳の二人の子供達も、近くにいたはずだ。
だが、記憶に薄い。
やがて、当直医がやってきて、説明した。
自分は内科医で整形外科は解らない、今、休暇中のレントゲン技師を呼んでいるので1時間ほど待って欲しい。
そういう内容だった。
熱は38度を超えていた。
骨折すると炎症反応で熱が出る。
どれくらい待っただろうか、レントゲン室に呼ばれ、3方向から X線を照射された。
その後、名前が呼ばれ、診察室に入る。
若い男性医師は、こう言った。
「とてもうちの病院では処置できません。大久保さんは東京のかたですよね。いまから東京に戻って、大きな病院で診てもらってください。添木はつけておきます」
添木?が何のことか解らなかったが、彼は熱で自由に曲がるプラスティックの板を用意して90度に曲げた。
そして、板の上に私の足首を置き、包帯でぐるぐる巻きにした。
何も治療されることなく、私は長野県から東京に運ばれる。
辛くて仕方がなかった。
1秒でも早く治療してほしいのに、今から長距離ドライブがはじまる。
「私、運転頑張るね」
妻にそう言われ、申し訳ない気持ちになった。