8、名付け親(なづけおや)

          Godparent(Godfather)


 「これ、美味しいね。山芋を刺身風に切って、海苔で巻い

て、わさびつけて、青じそドレッシングをかけただけなのに、

ね。」

 にこにこしながら、美子は、本当に美味しそうに食べる。


 お昼頃起き出して、今、美子の家の近くにある居酒屋で

ランチを食べてるところだ。小鉢に箸をつけるや、今の

台詞を吐いた。美子はAランチの鯖の味噌煮定食を、

俺はCランチのカツ煮定食を頼んだ。この店は、ランチの

ボリュームがあるし、本当に美味しい料理を出してくれる。

1度ランチを食べてみたら美味しかったから、夜もたまに

飲みに来るようになった。美子は、調理長の名前も気に

入っている。「海野 勝雄」さんていうらしい。ネームプレ

ートを見て、俺の耳元に顔を寄せて、「調理長さんの名前

見た?。海のカツオさんだって。サザエさんに出て来そう

だね(^^)。」とはしゃいでいた。俺は「調理長だし、ビジネ

ス・ネームかも知れないよ。」と小声で言ったつもりだった

が、調理長に聞こえたみたいで、「いえ、これが本名なん

です。子供の頃は、ずいぶんからかわれましたけど、今

は、とても気に入ってる名前です。」

と 笑顔で答えてくれた。それから美子は「カツオちゃ

ん」と呼んでいる。


 夜はカウンターに座ることが多いが、今は座敷のテーブル席に座った。


「美子は前から全部見えてたの?、今日の俺みたいに。」

 俺は、気になってたことを訊いてみた。

「うん。でもね。虹の渦巻きみたいなのは初めて経験した。きっと2人の感覚がシンクロして、あんなふうなコンタクトが出来るんだよ。」

 美子が言った。

「シンクロニシティーって言葉、知ってる?。」

俺は訊いた。

「シンクロニシティー?。ただのシンクロより難しそうだね。」

 美子の感性は本当に面白い。喋る内容が、思わず吹き出しそうになることが多い。俺は、危うくカツを吹き出しそうになった。

「ただのシンクロって、その感性が日本人だなあ。シンクロナイズがベースにあるから、シンクロナイズド・スイミングとか使うだろう?。」

「私達のこと?。」

美子の言葉の意味がわからなくて、

「へっ?」

と、間の抜けた相槌を打つと、

「同調して、寝てるから(^^)。シンクロナイズド・すいみん。」

 お茶を飲もうとしてたけど、寸止め出来て助かった。

「睡眠じゃなくて、スイミング!。」

 なんか、いつもこういう感じだ。


「シンクロニシティーって言うのは、精神分析学者のユングの提唱した概念で、共時性概念って言えばいいかな?。共(きょう)は共(とも)にの共、時(じ)は時間の時、性は性質の性。意味のある同時生起、ってことだよ。生起はさっきまで2人でくっついてた方じゃなくて、生きるに起きるだ。」

 今度は美子が吹き出しそうになってる。

「あはは(^O^)。可笑しい。でも、ちょっと難しいね。ポリスの『シンクロニシティー』って曲は知ってるけど、意味は考えたことなかった。シンクロニシティーがわかるように、例えばこんなこと!っていうわかりやすい例をあげよ!。」


俺は、少し考えて、喋り出した。

「アレクサンダー・グラハム・ベルって知ってる?。」

「うん、電話を作った人。」

「正解!。まさにその電話の話なんだけど、ベルが電話の原理を考えて実験しながら特許を書いて、それを提出したのがバレンタイン・デーの午前11時。それまでお互いに知らなかったエリシャ・グレイって言う人がやっぱり電話の特許を出したのがその2時間後の午後1時。それまで電話ってモノはなかったのに、全く別々の所でまるで同じ時間を共有してたかのように、たった2時間違いで新しい発明、しかも電気で音声を遠くの人に伝えるっていう画期的な発明が行なわれてた、って言うのがシンクロニシティーの代表例かなあ。」

 俺が答える。美子は、

「へー、そういうことなんだ!。2人が特許をたった2時間差で出したのは、今まで人類の歴史上なかったものが生まれるタイムラグとしては、誤差の範囲だから、同時に起こったって考えられるもんね。」

美子の解釈は、間違ってもいないけど、正しくもない。

「うーん、そういう感じよりも、その発明に費やしてた2人の時間そのものをシンクロニシティーって言う、って考えた方が近いなあ。」

 俺は美子の顔を覗き込みながら言った。


「なるほど。うん、今のはわかりやすい例だった。もう1つ、何かない?。」

美子は興味が出て来ると、納得するまで訊きたがる。その姿勢が好きだ。


「そうだなあ・・・。例えば、カブト虫のコトを考えてる時に、カブト虫が窓から入って来たりすることがあるでしょう?。」

「う~ん、あんまりないけど。」

 切り捨てるように早い返事。

「まあ、そのユングさんの時代はそういうことが多かったとしよう。」

 美子は少し偉そうに言った。

「ありがと。カブト虫のコトを考えてる時の方が、考えていない時より入って来るコトが多いんだって。それもシンクロニシティーの例。」


 美子は、俺のコトをじーっと見てる。

「・・・、あのね、『シンクロニシティー』っていう言葉を説明するのに、もっともっと説明してもらうと、もっとわかると思うんだけど、いっぱい説明の仕方があるよね?。1つの言葉なのに、いっぱい意味があって、面白いね。」

美子は感心したように言う。

「うん、これは『言葉』って言うより『概念』だからね。そういう概念に付けた『名前』だと考えると解りやすいかな。」

 ちょっと首を傾けて考えてた美子が、パッと表情を明るくして喋り出した。

「『名前』ってすごいよね?。だって、ヒロシは小学生時代から『ドク太』って言われるくらい冴えなかったのに、結局『名は体を現す』って感じで博士(はかせ)になっちゃったもんね。」

 まあ、そう言われると悪い気は・・・少し前半部分で感じたけど、許せる落ち着き方をした。美子は続けて、

「うん、やっぱりスゴイよ。名前がそのものを現すようになるんだから(^^)。いつも感じてたんだけど、名前って不思議じゃない?。私にとってのヒロシと、お父さんやお母さんが呼ぶ博士は、違うモノなんじゃないかなあ、と思うんだけど・・・。」

ふーん。美子って本当に面白い。たぶん頭もいい。俺は、

「どうしてそう思うの?。」

って訊いてみた。

「だって、お父さんやお母さんが呼ぶ博士は、子供としての博士だよね?。私が呼ぶヒロシは、恋人とか男としてのヒロシだもん。」

「なるほど。確かにそういう考え方もあるね。」

 俺は感心しながら言った。


「美子さんは短い言葉で本質をズバッと言いますね。」

 隣のテーブルの片付けをしていたカツオちゃんが、急に話に入って来た。

「実は昨日(きのう)、調理長会議がありましてね。その時、福島店の調理長から『メニューの名前を付け直したらどうだろう?』って議題が上がって、結構時間が掛かったんですが、わりといいネーミングが出来て・・・。そしたら料理の味まで変わったんですよ。」


「どんなふうに?。」

 俺はすごく興味を持った。舌の肥えた調理長達が、ネーミングで味が変わったように感じたとしたら、実際の味にも影響が出るってコトだ。美子も隣で身を乗り出して聞いている。

「はい。例えば今までうちのメニューでは『刺身定食』は1つだったんですが、店ごとに新しいメニューを提案することになったんです。ウチは『カツオちゃんの土佐作り』っていうメニューを出しました。そうしたら、同じ材料でも、だいぶ感じが変わったんです。もちろん使うタレも変えますから、事実として味は変わるんですけど、カツオそのものの素材力が変わったように感じたんです。私だけじゃなく、みんなもそう言ってました。」


「なんかわかる気がする。たぶん、刺身定食の中に入ってるカツオより、『カツオちゃんの土佐作り』の方が活き活きしてそう!。」

 美子の言うことに、クロス・トークのようにカツオちゃんが言葉をかぶせて、

「そう!。その通りなんですよ!。定食と、各種魚の名前だけの刺身しかなかったメニューに、名前を変えて作り方も変えたら素材力まで上がったんで、みんなで驚いたっていう感じでした。」


「それって、人間の意識がモノの素材力を変えるってことになるよなあ?。何となくわかるんだけど、証拠みたいなモノって出せるもんなのかな?。」

 俺は独り言のように言った。するとカツオちゃんは、

「はい、旨味成分の代表のように言われているグルタミン酸の量が、微妙にですが増えてました。」

「へーっ!。そうなんですか。そうするとアインシュタインが言ってた『観察者の視線エネルギーで、見られているモノの運動が変わる』っていう量子論の検証が感覚的にも実証的にもできたみたいなモノですね?。」


「難しいことはわかりませんが、きっとそうなんだと思います。誰が作っても結果は新しいメニューの方が美味しかったんです。」


「それじゃ、福島店の調理長に感謝しなくちゃね(^^)。」

 美子が言うと、

「『カツオちゃんの土佐作り』は全店メニューに決まったんで、来週、その言い出しっぺの福島店の調理長がメニュー構成の打ち合わせに来ますよ。新メニューの責任者に抜擢されましたから。私が選ばれた『カツオちゃんの土佐作り』っていうネーミングは、美子さんにカツオちゃんと呼ばれてたおかげです。感謝してます。」

 カツオちゃんが嬉しそうに言う。そして、

「福島の調理長は、最初に『商品は名前と値段があればいい。』って言ったんです。みんな、あっけに取られました。どんな材料を仕入れればお客さんに喜んでもらえるか、どんな味にすればお客さんがリピーターになってくれるのか、そういうことから積み上げて行くもんだとみんな疑わずに思ってました。なのにアイツは『もし、材料や調理法が1番大切だとすれば、生命保険の保険商品に高い値段を払ってるお客さんは何を買ってるって言うんだ!。「安心」っていう目に見えないサービスを買ってる筈だ。まさか保険証券という紙を買っている訳じゃない。我々のお客さんだって、サービスを買いに来てくださっている筈だ。料理はサービスの1部で素材へのこだわりは他の店との差別化の問題だ!』って言ったんです。そして、『メニューの名前に合わせて、素材を変えたって商品は商品だ。まずはどんなサービスを提供したいのかをメニューにブチ込んでお客さんに選んでいただくんだ!』って、それは何かに取りつかれてる様な有無を言わせぬ迫力で言い切ったんです。アイツの台詞を、美子さんだったら、何て言うのかなって、フッと思って話に割り込んでしまいました。お邪魔して申し訳ありません。」

 カツオちゃんは、そう言って下がろうとした。


「メニューに名前と値段を付ければ商品になります。まず、商品に良い名前をつけましょう。素材はこだわりの差別化要因です、って言えば済むと思う。」

 当たり前のように美子は言った。

「エラそうに言われると反発する人もいると思うから、折角のアイディアが残念な結果になる可能性もあった訳でしょう?。絶対通したいアイディアなら、まずはみんなに聞いてもらえるように言うと伝わりやすいと思う。」

 少しアゴを引いたような驚いた顔をして、カツオちゃんは美子の顔を見た。


「なるほど。そうですね。いやいや、おっしゃる通りです。本当にその通りですね!。」

 カツオちゃんは、何かを考えているような顔をしつつ、一礼して、手いっぱいのお皿を持って行った。


「ナイス・アドバイス!。いいコトしたね(^^)。」

 俺は笑顔で言った。美子は

「そうかな?。当たり前のコトを言っただけだよ。」

と 言った。


 帰りにレジで会計してもらおうとすると、カツオちゃんが出て来て、

「今日は結構です。いろいろとありがとうございました。それで、1つお願いがあるんですが、来週の水曜日に、さっきの話の福島店の調理長が来るんです。その席にお2人に出ていただきたいんです。思いを伝えるのに必要なのは迫力じゃなくて、どうすれば伝わるのかを考えることだと思うんです。お力をお貸し願えませんか?。お忙しいところ、無理を承知でお願いしてるので、その時に食べていただくモノも無料でご招待します。いかがでしょう?。本部の了解も取りました。今は『サービス』を考える時期だから、アドバイスをもらいたい人達がいる、ということで認めてもらいました。本部の連中も来るかも知れません。興味を持ったようでしたから。」

 カツオちゃんの真剣な顔。美子は

「昼間なら問題ないんですけど、夜はちょっとダメで・・・。」

 カツオちゃんは喜んだ表情になって、

「もちろん昼間にやります。夕方は4時くらいまではいいですか?。」

「あ、それくらいならギリギリOKです。」

ということで、来ることになった。俺はオリエンテーション期間だし、まだ大丈夫だ。食べた分は払うと言ったが、カツオちゃんは受け取らなかったので、お礼を言って店を出た。


「美子は、人にアドバイスするのが上手なんだね。」

 俺は美子と手をつないで歩きながら言った。

「そんなことないよ。もし、ヒロシがそう思うんだったら、それはヒロシのおかげだなあ。」

 美子が言う。

「どうして?。」

 俺が訊くと、

「だってヒロシは、いつも私の言うことに耳を傾けてくれるでしょう?。だから自然に『上から』でも『下から』でもなく、『横から』目線で同じモノを見て話すクセがついたから(^^)。」


自然体。ひと言で言うと、美子の生き方は「自然体」だと思う。肩に力が入ってないから、そのままを見抜く。美子と付き合い始めて、もうすぐ丸7年。8年目に突入する。初めて逢った頃の、何倍くらい好きになったんだろう?。


「ヒロシと付き合い始めてから、もうすぐ満7歳。8年目に入るね。私は、何倍くらい、最初の頃よりヒロシを大好きになってるか、わかる?。」

 俺の顔を見上げながら、美子が言う。

「あ、シンクロニシティーだ!。全く同じコトを、今、俺も思ってた(^^)。」

「なるほど。そういう使い方をするんだね、シンクロニシティーって。」

 

2人で顔を見合わせたまま、どちらからともなく、笑った。


 部屋に戻ると、美子がお茶を淹れてくれた。俺の顔を見ながら、

「さっきの『名前』の話ね。親が呼ぶ博士と、私が呼ぶヒロシは、同じ人を指してるけど、指してる中身が違うっていうヤツ。つまり『名前』って、呼ぶ人の数だけ違う中身に分かれて行く『分身の術』なのかなあ?と思って・・・。

『アイデンティティー』って言葉、自己統一性って意味だよね?。前に、その言葉を初めてヒロシから聞いた時、そんな当たり前のコトをワザワザ難しい言葉で言わなくてもいいのに・・・って思ったんだけど、たくさんの人から名前を呼ばれる人にとっては、とても大切なコトなのかも知れないと思った。自分の意志とは関係なく、いくつもの自分に分けられて行って、自分自身が意識してないと、気付かないうちにバラバラにされてたりするのかも知れないと思ったの。そしたら、ちょっと怖いよね?。」

 美子が言った。俺は、美子の考えてることって赤ちゃんみたいに素直で、答えるのが大変な質問ばかりだなあと思う。実は、俺、言語文化史を勉強するようになって、1つ大きなテーマを設定してる。まさに「言語における『名前』とは何か?」という命題だ。


「今、美子が言った考え方はとても興味深い、って言うか、あまりそういう考え方はされて来なかったと思う。名前って、今と昔では全然別物って言ってもいいくらい、扱われ方が違うモノなんだ。直接名を呼ぶことは、相手の霊的人格を支配することになる、と考えられていた。だから、昔は『名前』がたくさんあったんだ。本名は直接呼ぶのを避ける名前だから「忌み名(イミナ)」、死んでからその人の功績を織り込んでつけた名前が「贈り名(オクリナ)」、その人の出身地で呼ぶ場合を「本籍」、ふだん本名を避けて使っていた成人になったら使う名前が「字(アザナ)」、役職を持っている人は「官位」で呼ばれた。相手のことはよく知っている上で、無礼にならないように仕組みを作って行った。つまり、直接名前を呼ばない工夫を一所懸命して来た歴史だったんだ。その人の名前を直接呼んでいいのは、親と主君だけ。それ以外の人が呼ぶと極めて無礼とされた。」

 俺がそこまで言うと、美子は、

「じゃあ、私は打ち首級に無礼なヤツじゃん。主君でもないのに、いつも「ヒロシ」って呼んでる・・・。」

 って言った。でも、名前を呼ぶのは止めないっていう強い意志を感じた。

「あはは。俺も美子にヒロシって呼ばれるのは好きだ。それ以外の呼び名って、きっとシックリ来ないと思う。俺も美子って呼ぶのが好きだしね。でも、歴史は、そういう考え方で本名を呼ばないように動いてた。」

 俺は言った。


そして続けた。

「名前は付けた人のモノだったんだと思う。本当の名前を知っているのは、その名前を付けた人だけだからだ。だから名付け親のコトをゴッド・ペアレントって言うんだ。男性が名付ければ、ゴッド・ファーザー、女性が名付ければ、ゴッド・マザーって呼ばれる。つまり、その人にとって、名前を付けた人が『神』になるんだ。名前を付けられた時から、その名前で、人から認識されるようになるからね。名前が付くまではたくさん居る赤ちゃんの中の1人で識別しようがない。そりゃあ、母親とかお医者さんはわかってるかも知れないけど、それ以外の人にはわからない。神によって与えられしモノ、それが名前の本質なんじゃないかと思う。」


 美子はポカーンとした顔で、その話を聞いていた。そして突然、

「ねえ、ヒロシ。私って綺麗?。」

「ああ、綺麗だ。美しいよ。美子も『名は体を現し』てるイイ女だ。」

「あぁ、ヒロシ。大好き!」

って抱きついて来た。


「日頃何気なくやってることも、みんなそれぞれ深い意味があるのかも知れないんだね。名前って大切だとは思ってたけど、そんなに大変なものだって考えたこともなかったよ。」

 美子はしみじみそう言うと、

「ゴッド・ファーザーってそういう意味だったんだね。知らなかった。」

と言った。



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