平成二十一年 新年一般参賀
はいどうも、おひさし今日もぶりぶり。
みなさんいかがお過ごしですか?
今日もばっちり晴れてたねー
さぁ正月気分も、完全に終焉を迎えましたが
しかし
いつまでも正月気分が抜けないJUN-Gです。
毎日正月ならいいのにな……
とか言っとく!!
そうだナックルのバックルについての質問があったね、あれは前の記事 で紹介した幼なじみの洋一がやっているRADIALL ってとこのです。マサさんがどこに住んでるか残念ながら知らないので、参考になるかどうかはわからないですが、八王子の北口近くのLOW BROWって店にはまだ置いてあったよ。
ところで今日は、年上の素敵な女性とのデートの模様を、恥ずかしながらレポートいたしますね。
時は一月の二日、皇居へ一般参賀へ行って参りました。
一般参賀とは、天皇誕生日と新年の二度だけ、天皇陛下ならびに皇族の方々を、皇居にて一般人が拝することの出来る日である。その際天皇陛下から直々にお言葉も聞ける。
俺一度行ってみたかったんだよね。あの日ブログ書き上げて、その後やはり眠れなかったので、いい機会だった。
午前11時頃車に乗り込み、八王子のインターから中央道で東へ向かい、まず都内某所にある母方の先祖の墓へ。
ここには、樋口一葉や古賀正男も眠っています。
まさに日本晴れの一日でした。
墓前にてご先祖様に新年の挨拶をする。
それともうひとつ、今日はこの墓に眠る祖父に謝らなければならないことがあった。
実は去年の十月に祖父の法事があったのだけど、その際俺は、何を勘違いしたのか、家に帰り着くまで祖母の法事だと思っていたのだ。当然墓前でも、祖母に向かって語りかけていた……
「おじいちゃんごめんなさい」
再び車を走らせた。甲州街道を東へ進み、新宿駅の前を避け、中央公園の脇をすり抜け靖国通りへ出る。途中の中央公園では、新年早々炊き出しに長い列をなす人々の姿を目にする。身に詰まされる。
実は去年も一般参賀に向かっていたのだけど、家を遅く出たのと、皇居付近の大渋滞が災いして、結局間に合わなかった苦い過去があるので、今年は靖国神社の近くに車を停め歩くことにした。
ところが靖国神社の近くも渋滞だらけ、しかも駐車場もどこも満車だ。
路地をさまよう。民族派の方々の車両がそこら中に。
なんとか無数にあるコインパーキングに、一台分の空きを見つけ停車に成功。
時計を見ると午後0時30分くらいだったかな、歩いたら1時の回に間に合わなそうだったが、天気もいいのでのんびり歩いていった。午後1時50分が最終だったから、それに間に合えばよかったしね。
皇居を右手に見ながら内堀通りを歩く。ランニングをする人や家族連れなどが多い。
けっこう歩くなぁ。
だんだん警察の数が増えてきます。
機動隊が道路を封鎖。物々しくなってきました。
どこから湧いたのか、一般人の数もどんどん増えてきました。
観光バスも多かった。聞くところによると一般参賀のツアーなんてのもあって人気らしい。
すると緑の腕章を着けたおじさんが、例の紙製の手振り旗を配っていたので頂きました。
みんなの目線の先には……
実用性ZEROの騎馬警官。しかし馬と騎手の姿勢は綺麗だった。
当然手荷物検査があります。
そうそう、この後ろ姿の黒い服の女性が今日のお相手。
女性の警官が鞄の中を確認。意外とスムーズに終了。
その後ボディチェック。
はいかしこまりました。
しかし私服やら制服やらやたらと警察官が目につきました。新年からご苦労様です。相当お金かかってます。
橋を渡る。右奥に二重橋を望む。
ごった返す橋の上。
正門へ
人の浪は吸い込まれていきます。ときおり「立ち止まらないでください!」との声が警備の人からかかる。止まって写真撮ってるとひんしゅくものでしたが、皆かまわず撮っていた。かくいう俺も……
先ほど見た二重橋の上から左を向くと、皇居の櫓の中で一番美しいと言われる、伏見櫓が見える。
で右向くと
丸の内のビル群。時代を錯覚しそうだ。
そして奥へ進むと
広場へ出た。ここが東庭というところらしい。そして目の前にある横に長い建物が長和殿で、ここのガラス張りのテラスに天皇陛下は現れる。この長和殿を含む宮殿というところで公務を行っているらしい。
20分ぐらい前に到着したが、広場は意外と空いていた。真ん中の行けるとこまで前へ進んだ。警備の制服警官も至る所に配備。
そういえば昔見たドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」 の主人公、故奥崎謙三 氏はここで昭和天皇にパチンコ玉を撃ったのだ……それ以来防弾ガラスになったらしい。この「ゆきゆきて神軍」 についてもこんど詳しく書きたいと思う。ともかく凄い映画なので興味がある人は是非見てみて。DVD で出てる。
警備の人の話では、午前の方が人が多いらしい。しかし今年は人手が少ないと……
それと今年のお出ましは、陛下の体調を考慮したとか、経費の削減やらで、午後の2回が無くなっていたみたいで、最終は午後1時50分だった。
じっと耐えた。振り向くとどんどん人が増えてきた。
俺のイメージでは民族派の人やお年寄りが多いのかと思っていたけど、おばさんや若者、あと外国人観光客が非常に多かった。午前の部は、また違う雰囲気なんだろうなぁ。
おばさま方は、篤姫ブームでついでに元江戸城見学っ!みたいな人が多かった気がする。
やはり午後の部は、観光的なノリが強いんだろうね。
関係ないけど、隣の白人女性半袖Tシャツだった。たまに鳥肌立ってたけど……しかし、個人的感想だけどいつも白人の人ってみな薄着だよなぁ……
時折アナウンスで注意事項などが流れる。なぜだか気持ちが高まってきた。
時間が過ぎる。
もうじきか
時計の針は50分をさしている。
と、突然右手の方から野太い声で「オォ!!」と言う歓声が上がる。
その声に気を取られていたが、気づけばテラスには陛下のお姿が
みえない。
一斉にカメラと旗が振られる。
意外にもこの時点では「天皇陛下万歳!!」などのかけ声はあまり聞かれず。
思いっきり振る人、控えめに振る人。無数の紙の旗がひらめく音って、TVで聞いたそれと同じだった。バタバタバタバタと、止めどなく鳴っていた。
天皇皇后両陛下、皇太子夫妻、秋篠宮夫妻がお出ましになられた。雅子妃殿下が全ての回にお出になられたのは実に六年ぶりらしい。
しばらくして陛下のお話がはじまった。
スピーカーから聞き覚えのあるお声が流れてきた。
すると場内は一瞬にして静寂に包まれた。
お話の内容は、厳しい社会情勢を憂い、国民を心配している。と、世界の平和を願うというのもでした。それを簡潔にゆっくりとした口調で述べてくださった。
陛下のお言葉が終わった
その時だった
後方から「天皇陛下バンザーイ!!」
と年配者の声だったか
誰か一人が叫んだ。
するとその声に追い立てられ、また日の丸が一斉にはためいた。
俺にも場内の興奮が伝わってきた。気持ちが高揚するのがわかった。今日一番会場のボルテージが上がった瞬間だった気がする。
陛下はそれにまた手を振られ、笑顔で応え、そしてお戻りになられた。正確にはわからないが全部で5分くらいだったのかな。
そして人の浪は出口に向かい押し寄せる。
実に有意義な時間でした。なんというか自分の中に日本人の血が流れていることを実感しました。
天皇制について様々な意見や考えがあるのは理解しているが、俺はあっていいじゃないかと思う。
天皇陛下には現代でも、権威はあっても権力はないわけですよね。つまりどっかの国と違って、独裁者になんか絶対になり得ないわけだし。
まぁ大雑把に言ってしまえば鎌倉時代以降、実際の政治をやる力は、時の権力者によって常に抑えられていた状態だったでしょ。また時代によっては神とされたり人間宣言しろと命令されたり、とにかくその権威を利用されてきたわけだよね。
日本人のルーツについても諸説あるだろうけど、天皇家という存在が、この日本という島国を一つにまとめるために必要だったことは否めない。
しかも現在の天皇陛下も、この国の顔として激務をこなしてらっしゃる。75歳だよ。
人によっては今でも信仰の対象なのかもしれないし、心のよりどころとしている人も多いだろう。
例えば大型地震などの被災地の報道で、陛下が慰問されると思わずひれ伏し拝んでいるおばあさんの姿を目にする。そのおばあさんにとっては、ころころ変わるこの国の総理大臣なんかより、よっぽど心に勇気を与えてくれる存在なのだろう。
もちろん俺にとっては、絶対の存在ではないし、信仰の対象でもないよ。ただ、祖父を愛する気持ちで見れればいいんじゃないかと……
失礼、長くなりました。
そんなこんなで、我々は皇居をあとにした。
そして死ぬ程腹が減っていたので、丸ビル内へ
丑年なので今日も牛と戦うべく焼き肉屋へ
トラジってとこでした。
ランチメニューのなんとかってやつ。
俺牛肉が世界で一番好きです。
そして地下鉄って九段下まで行き
初詣を靖国神社でしました。
大村益次郎像が迎える。
そしてこの女性誰だかわかった?
もうわかったね
んーまぁいいや
んで
零戦が鎮座する遊就館へ
ここも時間があったら来てほしいところです……
今まで何回か訪れているので、この日は入らずに無料展示の日本刀展を拝見。
妖しい輝きを放つ。
そしてもう一つここや神社の売店で売っている「英霊の言乃葉」
幕末から明治以降昭和の大戦までの、軍人達の遺書や遺詠が載った本で、神社内の掲示板に月代わりで貼付けたものを集めた形。涙なしでは読めません。さまざまな考えの人に触れてほしい本です。
家族を守るために散っていった命の記憶です。
あっそういえば、今日のお相手の女性ですが
実は
私の母親でした。
すんまへん。
しかし母親と二人で歩くなんて若い頃は苦手だったよなぁ。
それが今じゃまったく抵抗ない、変わるよね。
まぁ俺にとってはたった一人の家族だからね。
今年は親孝行したいです。
まず、おれがしっかりしなきゃな……
みんなも家族を大切に。
じゃ今年も仕事に学校にがんばっていきまっしょい。
また会いましょうバイナラバイナラ。
みなさんいかがお過ごしですか?
今日もばっちり晴れてたねー
さぁ正月気分も、完全に終焉を迎えましたが
しかし
いつまでも正月気分が抜けないJUN-Gです。
毎日正月ならいいのにな……
とか言っとく!!
そうだナックルのバックルについての質問があったね、あれは前の記事 で紹介した幼なじみの洋一がやっているRADIALL ってとこのです。マサさんがどこに住んでるか残念ながら知らないので、参考になるかどうかはわからないですが、八王子の北口近くのLOW BROWって店にはまだ置いてあったよ。
ところで今日は、年上の素敵な女性とのデートの模様を、恥ずかしながらレポートいたしますね。
時は一月の二日、皇居へ一般参賀へ行って参りました。
一般参賀とは、天皇誕生日と新年の二度だけ、天皇陛下ならびに皇族の方々を、皇居にて一般人が拝することの出来る日である。その際天皇陛下から直々にお言葉も聞ける。
俺一度行ってみたかったんだよね。あの日ブログ書き上げて、その後やはり眠れなかったので、いい機会だった。
午前11時頃車に乗り込み、八王子のインターから中央道で東へ向かい、まず都内某所にある母方の先祖の墓へ。
ここには、樋口一葉や古賀正男も眠っています。
まさに日本晴れの一日でした。
墓前にてご先祖様に新年の挨拶をする。
それともうひとつ、今日はこの墓に眠る祖父に謝らなければならないことがあった。
実は去年の十月に祖父の法事があったのだけど、その際俺は、何を勘違いしたのか、家に帰り着くまで祖母の法事だと思っていたのだ。当然墓前でも、祖母に向かって語りかけていた……
「おじいちゃんごめんなさい」
再び車を走らせた。甲州街道を東へ進み、新宿駅の前を避け、中央公園の脇をすり抜け靖国通りへ出る。途中の中央公園では、新年早々炊き出しに長い列をなす人々の姿を目にする。身に詰まされる。
実は去年も一般参賀に向かっていたのだけど、家を遅く出たのと、皇居付近の大渋滞が災いして、結局間に合わなかった苦い過去があるので、今年は靖国神社の近くに車を停め歩くことにした。
ところが靖国神社の近くも渋滞だらけ、しかも駐車場もどこも満車だ。
路地をさまよう。民族派の方々の車両がそこら中に。
なんとか無数にあるコインパーキングに、一台分の空きを見つけ停車に成功。
時計を見ると午後0時30分くらいだったかな、歩いたら1時の回に間に合わなそうだったが、天気もいいのでのんびり歩いていった。午後1時50分が最終だったから、それに間に合えばよかったしね。
皇居を右手に見ながら内堀通りを歩く。ランニングをする人や家族連れなどが多い。
けっこう歩くなぁ。
だんだん警察の数が増えてきます。
機動隊が道路を封鎖。物々しくなってきました。
どこから湧いたのか、一般人の数もどんどん増えてきました。
観光バスも多かった。聞くところによると一般参賀のツアーなんてのもあって人気らしい。
すると緑の腕章を着けたおじさんが、例の紙製の手振り旗を配っていたので頂きました。
みんなの目線の先には……
実用性ZEROの騎馬警官。しかし馬と騎手の姿勢は綺麗だった。
当然手荷物検査があります。
そうそう、この後ろ姿の黒い服の女性が今日のお相手。
女性の警官が鞄の中を確認。意外とスムーズに終了。
その後ボディチェック。
はいかしこまりました。
しかし私服やら制服やらやたらと警察官が目につきました。新年からご苦労様です。相当お金かかってます。
橋を渡る。右奥に二重橋を望む。
ごった返す橋の上。
正門へ
人の浪は吸い込まれていきます。ときおり「立ち止まらないでください!」との声が警備の人からかかる。止まって写真撮ってるとひんしゅくものでしたが、皆かまわず撮っていた。かくいう俺も……
先ほど見た二重橋の上から左を向くと、皇居の櫓の中で一番美しいと言われる、伏見櫓が見える。
で右向くと
丸の内のビル群。時代を錯覚しそうだ。
そして奥へ進むと
広場へ出た。ここが東庭というところらしい。そして目の前にある横に長い建物が長和殿で、ここのガラス張りのテラスに天皇陛下は現れる。この長和殿を含む宮殿というところで公務を行っているらしい。
20分ぐらい前に到着したが、広場は意外と空いていた。真ん中の行けるとこまで前へ進んだ。警備の制服警官も至る所に配備。
そういえば昔見たドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」 の主人公、故奥崎謙三 氏はここで昭和天皇にパチンコ玉を撃ったのだ……それ以来防弾ガラスになったらしい。この「ゆきゆきて神軍」 についてもこんど詳しく書きたいと思う。ともかく凄い映画なので興味がある人は是非見てみて。DVD で出てる。
警備の人の話では、午前の方が人が多いらしい。しかし今年は人手が少ないと……
それと今年のお出ましは、陛下の体調を考慮したとか、経費の削減やらで、午後の2回が無くなっていたみたいで、最終は午後1時50分だった。
じっと耐えた。振り向くとどんどん人が増えてきた。
俺のイメージでは民族派の人やお年寄りが多いのかと思っていたけど、おばさんや若者、あと外国人観光客が非常に多かった。午前の部は、また違う雰囲気なんだろうなぁ。
おばさま方は、篤姫ブームでついでに元江戸城見学っ!みたいな人が多かった気がする。
やはり午後の部は、観光的なノリが強いんだろうね。
関係ないけど、隣の白人女性半袖Tシャツだった。たまに鳥肌立ってたけど……しかし、個人的感想だけどいつも白人の人ってみな薄着だよなぁ……
時折アナウンスで注意事項などが流れる。なぜだか気持ちが高まってきた。
時間が過ぎる。
もうじきか
時計の針は50分をさしている。
と、突然右手の方から野太い声で「オォ!!」と言う歓声が上がる。
その声に気を取られていたが、気づけばテラスには陛下のお姿が
みえない。
一斉にカメラと旗が振られる。
意外にもこの時点では「天皇陛下万歳!!」などのかけ声はあまり聞かれず。
思いっきり振る人、控えめに振る人。無数の紙の旗がひらめく音って、TVで聞いたそれと同じだった。バタバタバタバタと、止めどなく鳴っていた。
天皇皇后両陛下、皇太子夫妻、秋篠宮夫妻がお出ましになられた。雅子妃殿下が全ての回にお出になられたのは実に六年ぶりらしい。
しばらくして陛下のお話がはじまった。
スピーカーから聞き覚えのあるお声が流れてきた。
すると場内は一瞬にして静寂に包まれた。
お話の内容は、厳しい社会情勢を憂い、国民を心配している。と、世界の平和を願うというのもでした。それを簡潔にゆっくりとした口調で述べてくださった。
陛下のお言葉が終わった
その時だった
後方から「天皇陛下バンザーイ!!」
と年配者の声だったか
誰か一人が叫んだ。
するとその声に追い立てられ、また日の丸が一斉にはためいた。
俺にも場内の興奮が伝わってきた。気持ちが高揚するのがわかった。今日一番会場のボルテージが上がった瞬間だった気がする。
陛下はそれにまた手を振られ、笑顔で応え、そしてお戻りになられた。正確にはわからないが全部で5分くらいだったのかな。
そして人の浪は出口に向かい押し寄せる。
実に有意義な時間でした。なんというか自分の中に日本人の血が流れていることを実感しました。
天皇制について様々な意見や考えがあるのは理解しているが、俺はあっていいじゃないかと思う。
天皇陛下には現代でも、権威はあっても権力はないわけですよね。つまりどっかの国と違って、独裁者になんか絶対になり得ないわけだし。
まぁ大雑把に言ってしまえば鎌倉時代以降、実際の政治をやる力は、時の権力者によって常に抑えられていた状態だったでしょ。また時代によっては神とされたり人間宣言しろと命令されたり、とにかくその権威を利用されてきたわけだよね。
日本人のルーツについても諸説あるだろうけど、天皇家という存在が、この日本という島国を一つにまとめるために必要だったことは否めない。
しかも現在の天皇陛下も、この国の顔として激務をこなしてらっしゃる。75歳だよ。
人によっては今でも信仰の対象なのかもしれないし、心のよりどころとしている人も多いだろう。
例えば大型地震などの被災地の報道で、陛下が慰問されると思わずひれ伏し拝んでいるおばあさんの姿を目にする。そのおばあさんにとっては、ころころ変わるこの国の総理大臣なんかより、よっぽど心に勇気を与えてくれる存在なのだろう。
もちろん俺にとっては、絶対の存在ではないし、信仰の対象でもないよ。ただ、祖父を愛する気持ちで見れればいいんじゃないかと……
失礼、長くなりました。
そんなこんなで、我々は皇居をあとにした。
そして死ぬ程腹が減っていたので、丸ビル内へ
丑年なので今日も牛と戦うべく焼き肉屋へ
トラジってとこでした。
ランチメニューのなんとかってやつ。
俺牛肉が世界で一番好きです。
そして地下鉄って九段下まで行き
初詣を靖国神社でしました。
大村益次郎像が迎える。
そしてこの女性誰だかわかった?
もうわかったね
んーまぁいいや
んで
零戦が鎮座する遊就館へ
ここも時間があったら来てほしいところです……
今まで何回か訪れているので、この日は入らずに無料展示の日本刀展を拝見。
妖しい輝きを放つ。
そしてもう一つここや神社の売店で売っている「英霊の言乃葉」
幕末から明治以降昭和の大戦までの、軍人達の遺書や遺詠が載った本で、神社内の掲示板に月代わりで貼付けたものを集めた形。涙なしでは読めません。さまざまな考えの人に触れてほしい本です。
家族を守るために散っていった命の記憶です。
あっそういえば、今日のお相手の女性ですが
実は
私の母親でした。
すんまへん。
しかし母親と二人で歩くなんて若い頃は苦手だったよなぁ。
それが今じゃまったく抵抗ない、変わるよね。
まぁ俺にとってはたった一人の家族だからね。
今年は親孝行したいです。
まず、おれがしっかりしなきゃな……
みんなも家族を大切に。
じゃ今年も仕事に学校にがんばっていきまっしょい。
また会いましょうバイナラバイナラ。