今日は明治時代の続きを学びました。
昨日は、王政復古の大号令〜国会開設の詔まで進みましたが、今日は国会が開かれるまでの約束の10年の間の出来事と、大日本帝国憲法、第1回衆議院議員総選挙、第1回帝国議会についての詳しい学び、明治初期の外交について話を進めてまいりました。
明治時代は出来事がどの辺のブロックに入っているのかをしっかり把握しておくことが攻略の第1歩です。
ここでいう約束の10年とは、1881年に国会開設の詔が出されてから、1890年に第1回帝国議会が開かれるまでの10年間を指します。(えっ9年じゃないの?と毎年突っ込まれますが、1881年も入れてあげましょう。)
1881年に国会開設の詔が出されると、これまで国会作れ!と活動していた国会期成同盟が自由党として再スタートを切ります。
大きな理解としては、板垣退助が自由党を作ったでいいでしょう。
早速作ったと覚えてしまえば、翌年の立憲改進党とどっちが先かすんなり覚えられると思います。
1882年に大隈重信が立憲改進党を作り、伊藤博文がヨーロッパに派遣されてプロイセン(ドイツ)の憲法を学びます。
なぜ、プロイセンの憲法なのかということもしっかり説明できるようにしておきましょう。
国会開設の詔が出されてからすぐに、準備が始まったということがわかりますね。
1883年に東京日比谷に鹿鳴館という立派なお屋敷が建てられた理由はしっかりと説明できるようにしておきましょう。
1885年に内閣制度ができて、伊藤博文が初代内閣総理大臣となったということも重要です。
まず国会で、そのあと内閣!といった選択肢の誤りに気づけるようにしておかなければ惑わされます。
1886年のノルマントン号事件
1889年の大日本帝国憲法発布
そして、1890年の第1回衆議院議員総選挙、第1回帝国議会、教育勅語については詳しくまとめておきました。
ノートに書いてある重要事項をしっかり自分の知識としておくとともに、シリーズに書いてある資料などもよく読んで、知識と資料を結びつけられるようにしておきましょう。
回が変わって、明治初期の外交まで学びました。
明日学ぶ、日清・日露戦争があまりにも強烈な出来事であるため、
清と対等な条約を結んだことや、ロシアとの間に千島樺太交換条約を結んだこと、朝鮮に不平等な条約を結んだこと、イギリスが不平等条約改正の交渉に応じるようになった理由などがなかったことになってしまうケースが多いと思います。
難関校ではこのような事実もしっかり選択肢に紛れ込ませてくるので、日清・日露戦争を前にしっかりとまとめておきました。
入試問題を研究してみましょう。
2018年成蹊中学校の問題です。
とても勉強になるので、読んでみてほしいと思います。
問1、問2は知識を使って解ける問題と言えます。
成蹊の社会科の入試問題は、出題の方針として“テストを受けながら成蹊の社会の授業を受けているような”問題ということで、先生が作ってくださった文章を読んで、“へえ、塾で習ったことって実際の社会ではこのように作用していたんだ〜”というところから問題解きが始まります。
資料を見ながら、自分なりに読み取って答えを出していくという問題は、“知らないからできない”受験生が大苦戦します。
最近このような問題を出題する学校が増えていきましたし、そもそも社会の入試問題は、ただ知っている知識を披露するだけのものでもありませんので、授業で習ったことを受動的に受け入れるだけでなく、疑問を持って資料を読みながら自分なりの考えを1つ1つの事柄に付け加えていけるようにしていきたいと思います。