みなさま、こんにちは!

 

 

心屋認定カウンセラー

まっつんです

 

 

 

突然ですが


今回は【閲覧注意】です。

 

 

まっつんが発達障害ADHDと診断された時のこと少し詳しく書きたいと思います


 

 

自分の記録としてアップしますので

興味のない方はどうぞスルーしてくださいね。

 

 

 

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私は子どもの頃から何か上手く行かない人生を送ってきました。

 

 

母親は厳しく、自分の思ったことが全部正しいという人だったので

私を母の思っている理想の子どもに変えようとしました。

 

 

 

だから、ものごころついた時にはすでに

自分以外は正しくて、自分は間違っているという人生の前提がありました。

 

 



病気がちで痩せっぽちの私が

親に認められる方法は食べることでした



とにかく

食べると褒められたのです!




その結果、肥満児まっしぐらとなり

5年生の時は50Kg超えの体格になり

着ていた洋服がほとんど合わなくなるほどの体型に変わりしまったのでした。



近くのミニバスケットボールのクラブに入り中学に上がる頃には9Kgのダイエットに成功したのです



でも

自分は醜いんだという思い込みは強く

太ることへの恐怖心として残り



以後の

私の人生の選択に影響していきました






その頃から自分の全部が大嫌い


やることなすこと、容姿、しゃべる声まで全部が嫌いでした


 

お店のガラス窓や何かに映る自分がちょっと見えただけでゾッとするほど。



こんな醜い自分はいるだけで迷惑

邪魔者だと思ってきました

 

 





 すみません 

長くなり過ぎそうなので

 ずいぶん飛びますが




それでもなんとか

日頃の頑張りのおかげで

40歳の時まで社会人として



販売会社の事務仕事3社

生命保険のセールスレディ

不動産会社の賃貸物件の営業所

貴金属会社でワックス取りの製造など

様々な仕事を経験してきました





そして、41歳になった時に

精密部品の機械加工の製造会社に

事務のパートとして就職した私は、


 

 

できない自分、駄目な自分に自信をつけたくて

女性の正社員にさせていただいて

現場で働くことを希望したのでした




できなかった私は

難しい現場の機械加工の仕事に

とても心が魅かれ技術を身に着けたいと思ったたからでした





今考えればずいぶん浅はかですが💧


できるようになればみんなに認められると思ったそんな焦るような気持ちが

背中を押していたかも知れません



 

 ですがその当時は

どんなことでもコツコツと頑張って努力すれば必ず出来る、できないことなどないと


信じていたし

疑いもしなかったからでした!


 

 

でも、精密部品の機械加工の仕事は

ものすごく過酷なものだったのです。

 

 

とにかくめちゃくちゃ難しい!!


工業系の学校も経験も何もない

ズブの素人の私


基礎知識も何もかもを

全部実戦で覚えていきました




仕事はもちろんミスは厳禁

不良を作ることは悪そのもの

 

 



そんな難しい合わない仕事は

その後の人生に深刻な影響を及ぼしていくことになりました。




 後になって

 ADHD(注意欠如多動障害)の特性に

最も合わない職種だとドクターから

「よく堪えていましたね」と言われたのを覚えています。

 



だんだんミスが目立ち始め

精神的にダメージを受け続けていくのですが


 

いくら注意していても

一番重要な確認作業を度々怠たったり、すっかり抜けていたり

どうしても注意散漫になり、同じ間違い、ケアレスミスを連発してしまうのでした。

 

 

さっき言われたばかりの説明や、口をすっぱく注意されていることも聞いているのに頭から抜けている



時には、とんでもない間違いをしていることにも気付けずに

大きな損害を出してしまう




誰が聞いても呆れるような失敗をしてしまうのでした。

 


せっかく何日も時間をかけ、

全神経をすり減らして作った製品も


ちょっとしたケアレスミスで

すべて不良にしてしまうこともありました。

 

 




そして、

当然不良報告書を書かされるのですが


私自身もその失敗がなぜ、どういう原因で起こったか説明できないのです。



私の頭の中で、その失敗の経緯を言葉として、順序良く組み立てられないからでした。

 

 

時間をかけれてじっくり考えても駄目なのです。

頭の中では、イメージとして残っているのですが言葉として具体的に組み立てられず

自分は馬鹿なのかと

自分自身に呆れるのでした。





 

結局、書けないので

簡単に確認不足だけというような

いい加減なままの報告書を出すわけで

 

 

当然、同じようなミスを繰り返す私に

上司は怒鳴り声を上げて罵倒しました

 


私は恐怖に萎縮して

またミスを繰り返すといった具合

 

 


自ずと、人間関係も当然どんどん悪化していきました。

 

どんどん孤立していくのがわかるので

会社の同僚の仲間に入ろうとするあまり

その場の空気が読めず、

思ったことや、頭に浮かんだことををすぐ口走ってしまうのです。

 

 

結果的に相手を傷つけてしまったり

周囲の雰囲気を一瞬で凍り付かせたり


 

失敗や、ミスや、忘れ物や、遅刻や、

大事な物を壊したり、紛失したり・・・

 

 



私は

ますます駄目になっていくばかり




何とかしようと必死になればなるほど

頑張ればがんばるほど

それがますます上手く行かない方向へと悪循環を繰り返していくのでした。

 

 




職場で会社に貢献したいのに

周りと人たちと上手くやりたいのに

 


どう頑張っても、どうやっても、どう足掻いても、できない自分が空回りして

どんどん悪い状況になっていくのです

 

 

 

会社の中で孤立しないように

明るい振りをしました。



周りの人の冷たいまなざしも気にしないように、不安な気持ちを押し殺し

笑顔で必死に隠しても、

 

 

居たたまれないような焦燥感と罪悪感との圧迫で、常に脅かされていました。

心の中はまるで地獄そのものでした。

 



自分もわからない


周りはすべて敵でした




そんな時、旦那が事業の滞りから

内緒で作ってしまった

大きな借金が発覚したのです。



私たちは言い争いが絶えなくなり

離婚の危機にまで発展して行きました






ただ、もう全部駄目で

すべてが八方塞がりでした

 

 

 





そんな時


私は近くの図書館でこの本が

目にとまりました。

 

 

 

 私のことだと思いながら読んでいると


そっくりな自分のことが書かれていたのでした。



その時に初めて発達障害という障害があることを知り

自分はもしかしたら大人の発達障害ではないかと疑い始めていくことになりました。

 

 



発達障害は病気ではありません。

脳の発達段階のアンバランスによる
神経伝達が上手く働かないことが原因です。
その神経伝達の働きを活性化する薬の服用とドクターのカウセリングによって
私の場合はとても改善していきました。


また、特性に合った働く環境に行けたことが劇的に改善して行けた事だったかも知れません。



     

 ですが、もっともっと大変な方が

たくさんいらっしゃると思いますし

 


私には文章力もありません。



このブログだけでは伝わらないことや

様々な背景が後ろにたくさん隠れていることも承知ですが


 

でも



ここまで私の人生が変われたのは



やっぱり心屋仁之助さんの

一冊の本に出会えたからなのです!







今も

こうしていても



 

 まだまだ自分が発達障害とわからないで悩んでいる人



頑張らなければ生きていけないと

駄目な自分を責めて苦しんで

頑張ってしまっている人に




微力で拙いブログでも



何かが届いて欲しい!




今の世の中

何が正しいとか間違っているなんて

ないのかも知れません



ただ、一人ひとりが素晴らしい



自分の素晴らしさに気付いて少しでも

生ることがラクになって欲しいと思うのです




私がこんなふうに


心屋認定カウンセラーになりたいと

思ったきっかけも





障害があるかないかにかかわらず

性別や人種に関わらず



何かに悩んで苦しんでいる人たちに




どんな人も


キラキラ自分のありのままが素晴らしいキラキラ


を伝えていきたいと思ったからなのです





 








 なんか書いていくうちに




閲覧注意な内容でもなかったかなと

思ったけど




でも

自分がこの記事を書いてた時に

そう思ってたからいいんだと思います




自分の全部が大正解◎でいいのです✨✨



あの頃とまったく違った自分が



今、そう思えてる自分が



本当に嬉しいのです^^