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高度AI時代には、人間をとりまくルールがどんどん減っていくように思う。
そのため、古い世代ではインモラルとされたことに、どんどん挑み出すことが若い世代からは、特に始まるはず。
道徳的に許される範囲が増えすぎる?みたいな状況が生まれるはずだ。
そこで、すること。
人間は、やはり人間なので、戦争ごっこのようなアメフト、あるいは、戦争ごっこそのもの。
命令ごっこ
怒りごっこ
挑発ごっこ
コンサートごっこ
演説ごっこ
など。
なぜ、ごっこ遊びなのかと言えば、演説にせよ、歌にせよ、バイオリンにせよ、AIにはかなわなくなるから。そのため、同じ歌を、取り組むにしても、歌の要素の内で、演説要素、攻撃性要素、怒鳴りつけ要素、怒りごっこ要素など、要素に分解されるはず。。要素ごとのピンポイントに、取り組むような、完成度の薄い、まとまりのない活動、即ちごっこ遊びが増えてくるのではないか。なぜなら、人はAIの提供する活動に次々目移りしてしまい、集中せず、その上、飽きが来るのも早くなるからだと思う。テレビのチャンネルをザッピングしている現代人を見てると、そのように移り気になる、と予想される。
話を戻して、
これら戦争だの、攻撃だの、演説だの、が、原初的人間性の残りかすであり、情けないことに、不易根幹であり、動物そのものに近く、それでいてAIにはるか遠い要素と言えるところ。すなわち、uselessclassそのものの特徴であり、そして、そのクラスがする、活動である。クラスにとっては、ようやく見つけた生産的活動的であるが、AIにとっては、単なる非生産的活動になってしまう。
さらに、上で挙げた具体例は、遊びの指導がメインの幼稚園学習内容に似てる。すなわち、総白痴化に近くなるが、何もしなくても無為になるし、何かしても無為になるなら、こういう幼稚園生活が
ずっと続くような、雇用のない世界が来るのかも知れない。例えば2145年など。