中学生になると仲間にも一眼レフを持つ者が現れ、心中穏やかではない日々を送っていました。
一眼レフが欲しくて悶々とするなか、足しげくカメラ店に通いカタログ集めで解消する日々。
PENTAX MEのカタログを父親の前で広げおねだりアピールするもなかなか成就せず。
結局は父親が使っていた【ASAHI PENTAX SV】を「大事にしろ」と渡してくれました。
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そりゃそうだよねー
セットで10万円近くするものをそう容易く買ってもらえるはずもありません。
買ってもらえるほうがおかしいのです。
このSVだって購入当時は相当の金額だったと思います。
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MEを持って、Kマウントや電子制御を操作する自分を夢見ていましたが
現実はスクリューマウントで完全マニュアル
救いはブラックボディで135MMやカメラバッグがセットで見た目がカッコよかったこと。
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現実を受け止め、引き継いだSVはかなり大事にしたてきたつもりです。

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中2の時、必修の写真部に入部しました。
顧問の菅原先生のカメラもSVで親近感を抱きました。
しかし写真を撮ることに熱心ではなかったため、
だらだらと1年間を過ごしろくな作品を残せませんでした。
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やがて500MM望遠レンズが我が家にやって来ました。
父親の知り合いから牛舎の監視カメラ用に使っていたとかでもう不要になった為、5000円で引き取ってきたそうです。
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レースや野球観戦で大活躍と書きたいところですがそんな環境にありません。
主に風景ばかり撮っていました。
母なる山:手稲山のアンテナ郡や7キロメートル先に建ったばかりの「SOGO」の看板を狙ったりと無駄にフィルムを使っていました。
SOGOは最近爆発で話題の札幌エスタにありました、懐かしいな。

さらに無駄は続きます、テレコンを買って1000MMにしたことです。
それほど超望遠は60年代男にとって羨望の的だったということです。
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SVは私が社会人となりPENTAX SFXを買ったときに任期満了となりました。

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今はもうシャッター幕が劣化して動きません。
気が向いたら修理に挑戦します。

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