あらすじが書けない。1300頁もある上に、主人公があまり活躍しないので、周囲の脇役の描写になってしまう。

 

 主人公は、ニコライ・スタヴローギンという青年だが、この人最初の方に少し登場するが、老知事の耳に嚙みついたりするので、まさかこんな頭のおかしいような人物が主人公だとは思えなかった。

 

 400頁読み進んだところが名場面となっていて、意味不明な行動が行われる。スタヴローギンが人々の前でシャートフという男に頬を殴られ、スタヴローギンは怒りもせずされるがままになる。その後、リーザという美しい若い女性が気絶する。どういう脈絡なのか後になるまで全く説明されないが、下巻を読み通すと意味が分かる。

 意味が分かることは重要でなくて、この時スタヴローギンが主人公だと私はわかった。周囲の人間は、彼のために様々な行動をする。

 

 この場面を読んだとき、「ああ、ドストエフスキーってすごい作家だ。」と思った。ここまでの400頁もなんか読まされてしまうし、何が起こるのかを期待してしまう。

 

 婚約者のいるリーザは、この後スタヴローギンの元へ向かう馬車に駆け落ち同然に乗り込む。まるでジュリエットのようだ。ただロミオは、自分の悪を隠しもしないスタヴローギンだが・・・。

 

 シェイクスピアは、ロマンだから嘘っぱちですけど、ドストエフスキーは、真実を描くので身も蓋もないですね。作家の橘玲氏は、高校生時代にドストエフスキーに夢中になって、露文科のある早稲田に進学したそうです。いやあ、橘玲とフョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの組み合わせって、つくづく身も蓋もない。

 

 明治維新の数年前、1861年にロシアで、農奴解放が行われた。人を自由にするということは、神を信じなくなるということと表裏一体なので、様々な自由思想が跋扈し始める。そういう新奇な思想にかぶれた人々を悪霊に取りつかれたとドストエフスキーは表現した。

 

 スタヴローギン以外は、この目論見通りに描かれていると思います。

 

 ただロシアは、帝政時代も、共産党一党独裁の時代も、村や町に住む人々が突然消えていなくなるという状況は、変わらなかったようです。帝政時代には、囚人馬車と言うものがあったようです。どこに連れていかれるのかわかっているだけましですね。また皇帝みたいな人がいる時代には、恩赦がありました。プーチンみたいに自分に反対する人間は、即暗殺のほうがひどいのかも・・・。

 

 最後に「スタヴローギンの告白」があるのですが、これは雑誌掲載時に版元から掲載を拒否された部分で、これがなかったらスタヴローギンがどんな人間なのか、何を考えているのかよくわからない。

 

 スタヴローギンは、自分が悪事をなすことを悪霊に取りつかれているからなのかと考えてみる。

いや、ちがう。あんた元から悪じゃん。では、自分の罪を悔い改めて神を信じることができるのか・・・。できそうにない。スタヴローギンを病人と考えるダーシャに手紙を書くが、実際には彼女を近寄せることができない。多くの人が彼を愛し、夢中になるが、彼が愛する人間はどこにもいない。

 最後、スタヴローギンが縊死する場面で、物語は終わっている。こういう神の視点では書きえないような人間を創りだすところが、ドストエフスキーの凄さなのでしょう。