ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランを始祖とするブエンディア一族が蜃気楼の村マコンドを創設し、隆盛を迎えながらも、やがて滅亡するまでの100年間を舞台としている。

 コロンビアのリオアチャにあるコミュニティでは、近い血縁での婚姻が続いたせいで豚の尻尾が生えた奇形児が生まれてしまった。それを見たウルスラは性行為を拒否するが、そのことを馬鹿にされたため、ウルスラの従兄弟で夫のホセ・アルカディオは彼女を馬鹿にした男を殺してしまう。しかし殺された男がホセとウルスラの前に現れ続けたために、夫妻は故郷を離れてジャングルを放浪した末に、新しい住処「マコンド」を開拓する。そしてウルスラは「豚のしっぽ」が生まれないように、婚姻の相手は血のつながりのない相手に限定するという家訓を残した。さまざまな人間模様や紆余曲折がありながら「マコンド」は繁栄していったが、ウルスラが残した家訓は玄孫の代に叔母と甥の恋愛結婚という形で破られ、「マコンド」は衰退と滅亡へと向かっていく。(Wikipediaより)

 

 2024年に再刊文庫化された2冊のうちの1冊。

 

 600頁ほどですが、マジック・リアリズムの洪水に溺れた感じがします。マジック・リアリズムというけれど、リアリズムをより深く感じさせるためのマジックという気がします。

 

 現実には、起こりえないことが次々と書かれるのですが、決してリアリズムを損なうことはない。小説全体は、現実に存在した人々の記録のようにリアルに感じます。

 

 ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアランの長男ホセ・アルカディオは、銃で自殺したらしいのだが、その血は、妻のレベーカではなく母にその死を知らせに、一筋の流れをつくって住居の部屋から外にでて実家の建物に入りウルスラの部屋まで到達する。妻は他人で、自分の血は母とだけつながっているとでもいうように・・・。

 

 風呂場の屋根を破ってを覗き込む夜這い男に小町娘のレメディオスは、「気を付けて!」と言う。悲鳴でも上げるなら脈もありそうだが、彼女はまったく男を相手にしてしない。そして干したシーツをたたもうとするときに吹き上げられた風にさらわれ空中に消えていなくなる。日本の古典文学の「かぐや姫」を思い起こす人も多いだろうと思うシーンだが、絶世の美女とはそういうものだろうという真理を表現しているのだと思う。

 

 純血を守るための血族結婚は孤独を避けるためだったのか。異文化の異民族と婚姻する勇気を人がどのように獲得するのか、 そうしなければ、豚のしっぽの子供が生まれ人ではないものになってしまう恐怖にさいなまれてせざるを得ないというような・・・。そういう根源的な、他者とつながる恐怖と、そこからくる孤独が書かれている小説ではないかと感じた。

 

 

 最近、小説読むと記憶力が衰えていて、読んでる途中から、前のエピソードを忘れていく自分を感じます。でも、それがまだ記憶がはっきりしていた時とどこが変わるのかとも思えてしまうのです。そんなに読めてたわけでもないでしょう・・・ってね。

 

 そんなものでしょうと自分を許すことが大事ですかね。