敷島浩一は、特攻隊として飛び立った戦闘機の不良を理由に戻ってしまう。家族のいなくなった東京に戻った敷島は、アキコという赤ん坊を連れたノリコと知り合い、一緒に暮らす羽目になる。

 機雷除去の仕事を得た敷島は、ゴジラと戦うことになる。戦わなかった自分の戦争を終わらすために・・・。

 

 見てきました。「ゴジラ-1.0」。面白かったです。すごい娯楽作品に仕上がってました。

 

 ゴジラって何なのか?「ご英霊」とか「あらぶる神」とかいろいろ意見があるんですが・・・。今回、こんな風に思いました。日本人の集団的な「恐怖」を形にしたものなんだろう。日本人って、元来繊細で不安な人たちですよ。

 

 最初の「ゴジラ」が公開されたのは、敗戦から10年足らずの1954年。まだ、戦争の「危険」は去っても、「恐怖」は残っている時代だった。

 

 同じように、「シン・ゴジラ」の公開は、2016年。東北の震災が2011年ですから、1000年に一度の大地震と津波、そして原発事故の恐怖がさめやらぬ時期。

 

 この2つは、だからちょっと特別かなと思います。戦争も自然災害も、日本人にとっては同じように怖ろしいもので、人が真っ向勝負して勝てる相手ではない。だから、恐怖をゴジラという形にして見せて、正攻法で勝負を挑むのではなく、「オキシジェン・デストロイヤー」とか「ヤシオリ作戦」とかヤマタノオロチを酔っぱらわせてそのすきにだまし討ちにするような方法でゴジラを一端封じ込める。

 

 「ゴジラ」を見て、なんとなく理由のない恐怖から解放されるような人もいるんだろうと思いました。

 

 それ以外のゴジラは、子供を喜ばすB級映画で、よくて娯楽作品でいいのだと思います。

 

 そういう意味で、今回の「ゴジラ-1.0」は、娯楽超大作として成功してて、敷島が自分の臆病さを克服するのもよし、伏線を「ショーシャンクの空に」よろしく観客の望むように回収するのもよし・・・。見終わって、幸福な気分に浸れます。

 

 「-1.0」の意味もこじつければいろいろあるわけですけど、あまり考えなくてもいいと思う。映画は娯楽ですから。