1937年、チベットを旅する高僧たちは、ある寒村で4年前に逝去したダライ・ラマ13世の生まれ変わりのハモという幼子と出会い、“法王猊下(クンドゥン)”と呼ぶようになる。2年後、ハモはダライ・ラマ14世として首都ラサへ旅立つが、それは彼の波乱の人生の幕開けだった。やがて少年期を迎えたダライ・ラマは、中国共産党がチベットの地を狙っていることを知る…。

 

 10年以上前だったと思いますが、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を見たときの驚きは、今でも忘れられません。社会の制度としてリインカーネーションを実践している民族がいるとは・・・。これを見ると仏教というのは、北インドやネパールあたりの生き物は転生するということを信じる人びとから生まれた宗教なのだというのが実感でした。日本のは、仏教じゃないのでしょうね。日本人が魔改造してしまった。

 

 非暴力を貫いてきたチベット人の生活は、西洋人でなくとも美しいと感じると思います。特に、ダライ・ラマの父上が亡くなったとき、鳥葬にされるのですが、一番エコロジカルな葬送のやり方ではないだろうかと思いました。

 

 80歳をすぎて、海外での活動を停止したダライ・ラマ14世のインドに亡命するまでの半生を描いてます。マーチン・スコセッシは、「沈黙」もあったし、こういった「チベット仏教」に関する映画もあるし、人の信仰とそれに対する迫害に関心があるんですね。

 

 あまり、ダライ・ラマ役の役者が本人に似ていないと感じます。雰囲気も。

 

 チベットは、独立国で兵は5000人いると劇中で語られますが、事実は微妙・・・。近代以前、チベットは、清朝の皇帝に朝貢していたのが実態だった。高僧の転生者を決められない場合は、清朝の時の皇帝に転生者を決めてもらっていたと言われています。中国は、チベットの師のような存在だった。ただ、ヒマラヤが自然の要塞になっていたので、中国に侵攻されるようなことはなく、高度な自治を保っていた。朝貢の意味を西洋人にわからせるのは、結構難しいと思います。

 中国共産党は、清朝の皇帝よりはるかに悪辣ということですわ。彼らとの口約束など守られることはないということを肝に銘じておかなくてはなりません。

 

 ダライ・ラマが亡命して、インドに亡命政府を作ったことは最善の施策だったと思います。中国共産党が滅びた後には、必ずチベット人に融和的な政府が樹立されると思います。ダライ・ラマ14世が生きている間に可能かは、難しいと思いますが・・・。言語と宗教を守っていくことが民族を保っていく唯一の手段です。