大学教授を引退したセレブリャコーフは、若くて美しい27歳の妻エレーナとともに、前妻の親から受け継いだ田舎の屋敷に住み始めていた。退職後、収入が大幅に減った夫妻は、都会での生活に惹かれながらも田舎住まいを余儀なくされていた。そのうえ、常に身体の不調に悩む教授は、屋敷の住人たちに愚痴ばかりこぼし、家の中は常に重苦しい雰囲気に包まれていた。
 そこにはセブリャコーフに家の管理を任されていた先妻の兄ワーニャと先妻との間の娘ソーニャ、そして先妻の母マリヤ、それに隣に住んでいた没落貴族のテレーギンがいた。ある日、教授が身体の不調を訴えたため、エレーナは近くの医師アーストロフを呼んだ。多忙な医師のアーストロフは、森林を愛する環境保護活動家でもあったが、そんな暮らしに彼は満足できず、加えて人妻であるエレーナに恋する日々の鬱憤を酒で晴らしていた。
 かつては学者であるセレブリャコーフを尊敬し、彼のためにと、田舎の屋敷に住み込んで教授への仕送りに人生を捧げてきたワーニャも独身のまま40代半ばとなり、この先の人生に希望を見出せずにいた。そして、彼もまたエレーナに熱い思いを抱いていた。
 エレーナのように美しくもなく、ワーニャと共に田舎の地所管理に人生を捧げてしまったソーニャも、単調な人生に不満を感じ、アーストロフへの密かな愛を抱いて、エレーナにその苛立ちをぶつけていた。
 エレーナもまた夫への不満やソーニャとの不仲などの問題を抱え、ストレスを感じていた。

 

 「ドライブ・マイ・カー」の劇中劇で、チェーホフの戯曲、まったく読んだことがなかったので、読んで見ました。

 

 これが、キリスト教徒の平凡な人生に対する考え方なんですね。働いて働いてつらい人生を送ったあとに、あの世に行って神にそのことを訴えると神様が憐れんでくれますよと、ソーニャがワーニャ伯父さんを諭す。

 

 神が憐れむとは、そういう意味なのか・・・。バッハのマタイ受難曲のBWV244「憐れみたまえ、わが神よ」って、有名でよく映画に使われてるけど、そういうことなんですね。

 

 

 小室直樹が言ってたと思ったけど、平均的なロシア人は食べられるだけ仕事すると、もうそれ以上働かないそうです。それがロシアの今の状態を物語ってる。20世紀初め、資本主義にも失敗し、共産革命が起きてしまったけど、ほぼ70年で計画経済も頓挫。資本主義にもどっても、外国に売れるのは、地下から掘り出した化石燃料ぐらい。言葉の通じる他国に自分の要求をつきつけても見返りを与えられないので、侵攻するしかない。

 

 不思議と芸術のレベルだけ高い、不思議な国のおそロシア。

 

 チェーホフの戯曲も素晴らしいです。