昔、私が1年くらい経理をした会社が、小さな公園を見下ろす古いビルの2階にあった。名古屋には、百メートル道路というものがあって、歩道の幅さえも車が対面通行ができるほど広い。その小公園も広い歩道の一角だった。その公園の植栽にホームレスの人が家庭菜園のように野菜を植えたり、冬になるとどこからか一斗缶をもってきて焚き火をしたりしていた。

 

 焚き火は、消防署の人が来て「消せ」と言っていくらしく、紺色の服の男たちが来た後は、火が消えた。焚き火をするころは、もちろん一年で一番寒い時期。そんな時には、窓の中から、ホームレスを気の毒に思った。

 

 ある時、上司が、

「昨日、残業して夜の10時ごろ帰ろうと思って下に降りて行ったら、入り口のところにホームレスの人が入りこんでいて、『頼むから、一晩、中にいさせてくれ。』と言うので困った。」と言った。

「それで、どうしたんですか?」と聞くと、

「困ります。といって、出てもらった。」と言った。

 

 ホームレスの人も古くて汚いビルなので、自分がいても邪魔にならないとおもったのかもしれない。寒いので、雨風のしのげるところで休みたいというのは自然な感情だろうが、ホームレスを自分の家や会社の建物の中に入れてやれる人というのは、そうはいないと思う。

 

  ここで、本題に入るんですが、ホームレスを自分の家に入れてやれる人だけが、 

 最近炎上していたメンタリストDaigoを批判できるのだと思う。

 

 誰でも、差別感情を持っていると思う。だけど、あからさまな他人の差別感情を見せられると、きれいごとでその人を批判したくなる。しても無駄なんだけど・・・。

 

 Daigoの方も、最初は「個人の意見だから、真に受けないでください。」みたいに言ってたけど、途中から謝罪に転じた。それも、最初の謝罪動画を取り消して、謝罪動画を作り直すという狼狽ぶり。実利的な必要が生じたのでしょうね。謝罪したからって、出した本音は取り消せないけどね。

 

 毎日更新すると、とがったこと言わないとというプレッシャーがかかって、つい言わなくてもいいことまで言ってしまう。Q&Aが多くなってたのも、ネタ切れのせいでしょうね。

 

 ひろゆきのコメントで炎上が静まったのも、メンタリストの面目丸つぶれ。人を助ける立場の人が、助けられてる。Daigoも、少しは自分の転落の可能性を考えた方がいいと思う。

 

 ひろゆきも同じようなQ&Aをやってるのだが、“無能”をテーマに質問者に「生活保護申請してください。」と回答してたりする。人には、何かの拍子に転落の可能性があることを理解している。

 

 ホームレスに対する差別感情の根源は、自分のホームレスへの転落の可能性を強く否定したい気持ちなのだと思う。