主人公のオルフェの通う“詩人カフェ”に“王女”と呼ばれる女性(カザレス)がある夜現われ、オートバイにはねられた詩人セジェストの死体を、オルフェに手伝わせ自分の車に運んだ。車はオルフェも乗せて、彼女の館に。そこでセジェストは蘇り、王女の導きで鏡の中に消えた。オルフェは後を追おうとするが鏡をぬけられず意識をうしなう。目覚めると王女の館は消えていた。

 王女の美しさに囚われたオルフェは、妻ユリディス(M・デア)の待つ自宅に戻っても心ここにあらずであった。妻は夫の心が自分から離れてしまったことを嘆きながら、オートバイにはねられ死ぬ。

 一方、オルフェはセジェストの死に関わったオルフェを追及する暴徒に殺される。そこに現れた王女の手下に連れられ、オルフェは妻と王女に会うため鏡を抜けて死後の世界に行く。

 

 この前、ブログ書いた「窮鼠はチーズの夢を見る」の中で今ヶ瀬が見ている古い映画が、この作品でした。

 行定監督のインタヴューで複数の聞き手が話題にしていたのですが、行定監督は内容については答えず、自分が少年のころに熊本の田舎の名画座で見た話をしてお茶をにごしていました。

 でも、この話の内容、もしかすると「窮鼠」は、オルフェの焼き直しに見えなくもない。恭一がゲイバーに行くシーンが今ヶ瀬を探しに行くためだというのが、この映画を見た後だと信憑性を持つような気もします。

 恭一が妻と別れていなければ、今ヶ瀬が死後の国の王女とすると、途中までオルフェの話と同じなのです。今ヶ瀬、自分は恭一と結ばれないと、この映画見て思い込んでいるとすると、切ないなと思います。

 

 オルフェの話ですが、鏡をモチーフにして、とても脚本がよくできていて、70年も前ですが車もオートバイも車についたカーラジオも出てきて、現代的な印象を与えます。

 

 鏡を軸にして対称性をもたせ、オルフェに王女、妻のユリディズにウルトビーズ。王女とユリディスの対照的な魅力。

 オルフェが禁を犯してユリディスを見てしまう場面も、鏡に映った姿。

 そして、何よりも鏡が現世と死後の世界の彼岸になっている。

 鏡のないギリシャ神話の時代に、水面に映った自分を映す古代の人々の様子を最初にオルフェが目覚める場面で使っている。日本語の”かがみ”という言葉は、水辺に”かがむ”からきていると聞いたことがあります。

 

 いくら魅力があっても、死神の王女に恋していたので、生きていけない。人間は、死後のことなど思わずに生活できなければいけない。王女は、死後の国の法を犯して、オルフェを生きかえらせようとする。自分を犠牲にして・・・。ロマンチックで、人の心の深いところを描いているのに、エンターテインメントになっている。フランス人の乱闘・暴動好きの性格も描かれてるし・・・(笑)。

 

 とても素晴らしい傑作だと思いました。