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8 1/2 [Blu-ray]
5,638円
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著名な映画監督のグイドは、新作の構想と療養のため、温泉地へとやってくる。しかし、一向に定まらない映画内容と、周りの出資者に接する苦悩だけが積もっていく。いつしかグイドは、自らの理想の世界へと現実逃避する。
筋があるのかないのかわからない動く映像を見ていて1時間過ぎたあたりで、不思議になる。なんで飽きずに見ていられるのだろう。飽きないんですよね。話がどうなるのかについての興味などないんですけど・・・、登場人物がどうなるのかにも、あまり興味が持てないのに、なぜか目が離せない。この静止しない動画に心を奪われる。
映画の本質が示されていることに気付く。
映画は、画そのものが動くか、画の中に登場する人や物が動かなくてはならないのだ。でも、動きがあるということは、必然的に、その動きに意図や理由が伴わなくてはならないから、通常は、ストーリーというものを作る。しかし、映画の本質は、ストーリーなどなくても変わらない。
この「8 1/2」のようなストーリーがあるともいえないような映画でも、映画は動かなくてはならない。動きの意図や理由を考えなくてはならない映画監督は、グィドのように鬱状態になってしまうのだ。
一つのテーマとして、グィドの妻は誰なのかということ・・・。
最初に出てくるカーラのことをホテルの女主人などは、「奥様は綺麗なかたね。」などと言っているが、ここでそう思う観客はいないだろう。カーラの服装からしてグィドの浮気相手だなとすぐ理解する。
グィドの妄想のなかで、白衣のクラウディア・カルディナーレが鉱泉水をグィドに捧げ持ってくる場面では、クラウディアが別れた妻か何かかなと思うが、これも違う。
アヌーク・エーメが優し気な雰囲気で現れ、グィドに「君がいないと寂しい」と言わせ、車でグィドの隣に座らず、2人になると厳しいことばかり言いだすところで、これが現実なのだと理解する。現実は厳しいのだ。
あとになって、クラウディアは映画の主演女優なのだとわかる場面が出てくる。この映画は、メイキングが本編に入っているのだ。
もう一つ、グィドの生い立ち。
子供のころ通っていた学校を遊び仲間と抜け出して、海辺に住み着いている女に会いに行く。彼女に金を渡してダンスを見せてもらう。
これがあとでバレて、学校の教師や親にこっぴどく叱られる。この叱られ方が半端ない。グィドは、神父にでもなることを期待されていたらしい。周囲の大人を「裏切られた」という思いにさせてしまうのだ。ところが、本人は確信犯で、悔い改めるどころか、叱責から解放されると、再び一人で海辺の女に会いにいく。彼女は朗らかに「チャオ」という。
映画監督への道は、決まった。女性のいない教会に、グィドの救いはない。
「人生はお祭りだ。一緒にすごそう。」手をつないで踊る人々。これなら、近くで手をつなぐか少し離れて踊りにくわわっているかだけで、妻とか愛人とか近さの差だけなのだ。
”8 1/2”とは、本作がフェリーニ「単独」による8作目の作品であり、さらにフェリーニの処女作「寄席の脚光」でアルベルト・ラットゥアーダが共同監督をしたのでそれを「半分(1/2)」として加えると「8 1/2本目」の作品となることにちなんでつけられたものである。「交響曲5番」とか、そういったタイトルのようですね。タイトルで観客が映画に先入観をもたないようにということのようです。
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