17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教 (信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは 日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。

日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。

 

 遠藤周作原作の「沈黙」。小説読んだことありませんでしたが、有名なので大ざっぱなあらすじは、私も知っておりました。それを、「タクシー・ドライバー」のスコセッシが撮るということで、ツイッターでもちょっと話題に。「日本人にはキリスト教の絶対神が理解出来ない」という話がちょっと盛り上がってまして、興味が湧きました。

 

 スコセッシが原作の「沈黙」に出会ったのは、

”1988年、ニューヨーク市で行われた『最後の誘惑』特別試写会で、監督のマーティン・スコセッシは大司教のポール・ムーアと知り合った。そのイベントでムーアは、監督に遠藤周作の小説「沈黙」をプレゼントした。”というきっかけなのだそうです。

カトリックも、自ら浄土真宗化しようとしてるようです。浄土真宗は、仏教の中でも一向(ひたすら)に信ずるという一神教に近い要素があり、欧米の仏教学者に「もはや仏教ではない」と言われていて、ひょっとすると究極の宗教の形なのかもしれません。

 

 正直言って、この時代の九州の隠れキリシタンの農民達が求めたものは、ハライソ(天国)。苦役も、年貢も、飢えも、病気もない世界。でも、そのイメージは、浄土真宗の「浄土」とうり二つ。多分、Godを理解することは、なかったようです。その事を劇中でも、フェレイラに言わせています。

 

 拷問に苦しむキリシタンの日本人達を見てロドリゴが聞いたGodの声は、信ずるGodが沈黙を破って”転べ”と声をかけてくれるものだった。弱い人間の心を助けないようなGodは、その価値がないのではと著者は言っているのかも・・・。

 

 遠藤の分身は、キチジローかなと思いました。このキチジローが、実に卑怯な奴で、踏み絵は毎回踏むし、裏切るし、毎回その裏切りを告解するし、「悪になることも出来ない卑劣さだ」とロドリゴに言われるのですが、転んだ後のロドリゴは、キチジローに「一緒にいてくれてありがとう」と感謝する。そして、キチジローは身につけていた聖画によって、また捕まる。ロドリゴもまた、死にいたって手の中に十字架のサインを抱いている。彼らなりの形で信仰を捨てていないのです。

 

 3時間に及ぶ長尺ですが、さすがスコセッシ、飽きず眠くならず、見られました。でも、アカデミー賞は、ちょっと無理でしょうね。