自信とは、何だろうか?
自信を定義するなら、自己規定を肯定する心理状態と言えばいいだろうか・・・
この場合、自己規定の中身は、何でも良い・・・というか、あまり問われない。
ただ、客観的実態とかけ離れた自己規定は、うぬぼれとか欺瞞と言われてしまう。
日本には、いい人が多いから、自分はほどほどに良い人間だと、そういう自信を持つ人は多いのではないかと思うが、40過ぎの大人だとしたら、ちょっとナイーブに過ぎる自己規定ではないかと思う。「いい人」とか悪ければ「お人好し」というのは、羨ましがられる存在とは思えない。
特に、やり手とか野心的な人と言われるような人には、必ず少なからず悪の要素がある。社会の厳しい競争を勝ち抜いて行かなくてはならない人が「いい人」でいるのは、かなり難しいと思う。
自分を多少の悪人だと自己規定している人は、案外多いのではないか・・・。多少の悪事を働きながらも、社会の中で成功し、かつ塀の内側に落ちずにいるのは、常識や物事の軽重をわかっている大人でなくてはならない。ひどい時には、人格に一貫性のない人という場合も出てくる。
自己規定には、否定形を使うものだと聞いたことがある。「私は、こういうことはしない。」「私は、何々ではない。」というネガティヴ・リストで、実際の選択の場面で削り取られた人格像は、はっきり他人に見えて信頼のできるものだ。それでいて行動の自由度は高い。
信頼できる人とは、「何々のようなことはしない」人だと思われることだというのも聞いたことがある。
自己も他者も、信ずることの出来ることは、否定形で語られるのだ。
自信と他者の信頼は、切り離せない物だ。自信はたっぷりだが、他人には信頼されていないというのは、傲慢というのだ。
まずは、自分が無理なく肯定できる自己規定を模索しなければいけない。
「大人はさ、ずるいくらいが丁度いいんだ。」というアニメの台詞を思い出す。
「俺は、そんないい人間じゃないんだ。」という悪人の肯定も、耳に残っている。
人の個性は千差万別だ。
自分を肯定しよう。