ピアニストの中村紘子さんが、お亡くなりになりました。ご冥福をおいのりします。

中村さんは、エッセイストとしても素晴らしく、黎明期の日本人ピアニストの苦闘をかなり辛辣な筆致で、書いておられ、私は、昔読んだとき、「こんなひどいこと書いていいんだろうか?」と思った物です。

しかし、ピアニストに限らず、演奏家というのは、人間として非常に優秀な人達ですね。耳は当たり前ですけど、いいし、記憶力はハンパないし、手先は器用。とにかく、パーツとそれを総合する頭脳が優れています。

ただ、人格はどうなんだろう?というところが、「蛮族」という表現でユーモラスに表現されててすごくエッセイが面白かったのを覚えています。

「大体みんな、三、四歳の時から一日平均六、七時間はピアノを弾いているのだ。たった一曲を弾くのに、例えばラフマニノフの「ピアノ協奏曲第三番」では、私自ら半日かかって数えたところでは、二万八千七百三十六個のオタマジャクシを、頭と体で覚えて弾くのである。(中略)すべてが大袈裟で、極端で、間が抜けていて、どこかおかしくて、しかもやたらと真面目なのは、当り前のことではないだろうか。そしてここでも類は友を呼び、蛮族の周りには蛮族が集まる……」(本文より)

ベルギー王妃のハンドバッグの秘密とは。ピアニストとハイヒールの深い関係とは。演奏家として、また国際ピアノコンクールの審査員として世界をかけまわる著者ならではの鋭い文明批評と、地球の裏側アルゼンチンまで穴があったら入りたい程の失敗談。音楽の周囲に集まるとっておきのエピソード。

2冊目は、世界各地を演奏旅行してまわった体験記。これも非常に面白かったです。

 

 今回、追悼がてらに中村さんの演奏も貼ろうと思ったので、Youtube色々聞き比べたのですけど、「いいな」と感じる演奏がない。アハハ、私も辛辣ですね・・・。死んだから×と言うか・・・。

 

 『蛮族』の方に中村さんが書いていた、ピアノの音を切らずにレガートになめらかに弾くというピアノの基本を海外に留学してから「勉強のやりなおし」として教師に命ぜられたという辛い逸話。日本人留学生にたてられていた「正確だがタイプライターのように弾く」という評判の、指の位置を高くとって叩くように弾く弾き方は、40才の当時の中村さんにも残っていたように思います。中村さんがジュリアードで師事したのが、亡命ロシア人のレヴィーンだったということで、ロシア楽派に属するわけですので、同じロシア人のピアニストと聞き比べて頂くように、キーシンと中村さんの同じ曲を貼ってみました。私には、なめらかさが格段に違うように感じられます。

 

 

 

女性が弾くには、西洋人でも体力のあるアルへリッチみたいな人でないと難しいと思うのですけど、体力・体格で一層劣る日本人女性が弾くのでは、大きい音を出すのに苦労するだろうなと思います。それがタイプライター弾き批判の遠因だったのだろうと思います。

どの楽器でも、演奏家としての評価の半分は音量の幅で決まってしまうというところがあると思います。残りに技巧や解釈が残るわけです。

 ピアノは、もともとピアノフォルテという名前でした。音の小から大まで自在に出せますよと言うのが、売りの楽器だったのです。大きい音が出せる奏者ほど音量の幅と表現が広がるのは当然です。

 弦楽器では、国際コンクールで日本人優勝者がかなり出ているので、技巧や解釈で劣るとは思えない。しかし、ピアノでショパン・コンクールに日本人が半世紀以上挑戦してもいまだに優勝者が出ないのは、ピアノが女の子の習い事になってしまっている日本の現状と無縁ではないでしょうね。過去のアジア人の優勝者は、みな男性です。

 

 中村さんが久野久を辛辣に「久ごときに弾けるはずがない」と書いた言葉は、他のピアニストも言っています。ホロヴィッツは、「女と東洋人にピアノは弾けない」と言ったと・・・。

 

 やはり誰かに投げかけた罵倒というのは、ブーメランになってますね。