場末のマジックバーで働く、さえないマジシャンの轟晴夫(大泉洋)。ある日、彼は10年以上も関係を絶っていた父親・正太郎(劇団ひとり)がホームレスになった果てに死んだのを知る。父が住んでいたダンボールハウスを訪れ、惨めな日々を生きる自分との姿を重ね合わせて涙する晴夫。すると、突如として青空を割って光る稲妻が彼を直撃する。

 目を覚ますや、40年前にタイムスリップしたことにがくぜんとする晴夫。さまよった果てに足を踏み入れた浅草ホールで、マジシャンだった父と助手を務める母(柴咲コウ)と出会い……。

 

 劇団ひとりの同名小説を自身で監督、脚本(共同執筆)、助演した作品。初監督作品としては、すごく完成度とレベルの高い作品です。

 

 象徴の意味でも伏線としても、エピソードの作り方が、とても上手いです。

 

 バーで働く晴夫が下宿に帰ると、配管の水漏れで下宿が雨漏りしてて、電灯がバチバチとした後停電する。この後の「晴天の霹靂」で稲妻に撃たれる逆の伏線になっています。

 

 父親が浮気したせいで、出産直後に母親が男と逃げたというエピソードも、後に逆の伏線として効いてくる。

 

 父が母に送ったティッシュでつくったバラの造花を、息子である晴夫のマジックで本物のバラに変えるところなど、ストーリーの展開を上手に映像で象徴的に見せてるんですね。

 

  初監督作品と言っても素人の作った映画ではないです。タイム・スリップも、未来を知っているので、それを利用して芸人として売れようという話かなと一瞬観客は考えると思う。なので、ホームレスが持っていた写真で父親が誰かを認識できないとストーリーがわからなくなってしまうので、劇団ひとりが父親役をやる理由が理解出来ます。

 

 欲を言えば、始まって一時間ぐらいのところで、悦子が入院したあたりから、ちょっとだれるところが残念。どういう話かわかって、観客がのんびりして眠くなるんですね。DVDになって、家のソファでカウチ・ポテトしてると必ずここで眠くなると思います。雷門ホールの支配人や晴夫をホールに連れて行った子供を使うなどして、観客を最後まで飽きさせずに引っぱっていく映画が撮れたら、一流監督の仲間入りですわ。

 

 この映画のテーマは、親に望まれて生まれようが、望まれずに生まれようが、その後の人生は本人次第。自分にとって自分を大切にできるストーリーを自分で作ったら良いのです。自分の人生を情けないと思って、それを他人や親のせいにするのは、いいわけと自己憐憫にすぎません。

 

 大泉洋の演技は、上手いのですけど、彼はとぼけたところに味がある役者だと思うので、そういう演技があまり使えないシリアス気味のストーリーだったのは、ちょっと残念でした。