幼い時に瞽女になったおりんは、ある男と関係をもったことからはなれ瞽女となる。

 大正7年、春。盲目の旅芸人(瞽女)おりんはある日、一人の大男・平太郎と出会った。翌日から、二人は旅をともにする。おりんが飲み屋の客相手に芸を披露しているあいだ、男は客に酒を注ぎ、投げ銭を拾い集めたりした。が、ある時、土地のヤクザに呼び出された男がおりんのもとへ戻ってみると……。

 

 岩下志摩主演、篠田正浩監督、カメラマン宮川一夫。

 

 瞽女がどういうものか、映画をみるまで、知りませんでした。念のため、説明すると、近世まで全国的にいた盲目の女性芸能者を指し、各地を門付けして回った。この映画の時代、明治から大正及び昭和初期には、拠点が新潟を中心とした場所に限定されるようになり、戦後にほぼ消滅した。

 

 タイトルの「はなれ」と言う言葉ですけど、この瞽女たちは、拠点の親方に養女として引き取られ三味線や歌を仕込まれて瞽女になると、男を寄せ付けないと誓いをたてるのですが、その禁を犯して男と寝てしまうと、「おちて」拠点から追われ、「はなれ瞽女」になるということです。そうなるとおりんのように、一人で放浪の旅芸人にならなくてはならない訳です。

 

 娯楽のない農村の純朴な農民が、「瞽女様」と呼んで、僧侶の托鉢に喜捨するようになけなしの食料を与え、大事に扱うのにじんとくる物がありました。その反面、男の色欲は、そんな瞽女達を「おとす」のに、熱心でした。

 

 たまに瞽女の意味を理解している真面目な男だけが、彼女たちを巫女として扱い、その芸をありがたがる。平太郎もその一人でした。

 

 時代を描いた傑作としてよいと思います。宮川一夫の撮った風景も美しくて見事です。

 

 おりんは、おちても、あっけらかんとして、禁を護っている親方を気の毒に思うような女の人でした。こういうのも気丈というのでしょう。岩下志摩がやるとそういう、気丈さというか平気さが強く出ますよね。

 

 感心したのは、少女のおりんが初潮をむかえ、雪道のうえに経血を点々と落とすシーンで、それは生で写さず、椿の花をひとつ雪の上に写して現したのには、篠田監督のデリカシーというか品の良さを感じました。やはり一昔前の世代の監督なんですよね。

 

 篠田監督と岩下さんは、ご存じの通り夫婦ですけど、篠田監督の映画に岩下さんが出たときには、「ちゃんとギャラも払う」のだそうです。