脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説/前野 隆司

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「私」の謎を解く受動意識仮説。意識が命令しているのではない。無意識の決定を意識が受動的に見ているのだ。

 2004年に書かれた本です。私、ついぞこの方のお名前を知りませんでした。コンピュータの研究者です。

 1980年代にアメリカで』行われた実験で、指を動かす被験者の脳に電極をつけ、脳に電流が流れるタイミングと、「指を動かしたい」と気持ちにになったときのタイミングを比べた。
 すると脳に電流が流れたタイミングの方が早かったのだ。

 実際、1、脳に電流が流れる、2、意図する、3、指が動く、という順番になった。その後、様々な場所で追試験が行われたが、同じ結果が再現された。

 これは、世界中の学者にショックを与えた。

 小びとたち(無意識)は「私」(意識)にしたがっているのか、それとも、「私」(意識)は、小びとたち(無意識)に従っているのか、という問いは、天動説と地動説の関係にそっくりだ。

 
 なぜ、私たちは、意図してから指を動かしていると考えてきたのか?これは、そう錯覚しているのだということです。あらゆるところに錯覚がある。指先で熱いもをさわったときに脳で「熱さ」を感じるはずなのに、指先に感じるのは、脳内にそういうモデルができているので、そう錯覚しているのだということです。

 〈私〉という自分を他と区別している感覚についても、記憶の能力が進化してエピソードを記憶できるようになったときに、エピソード記憶「朝パンを食べた」とか「1週間前に自分の子供が生まれた」を思い出す自分が必要になったので、〈私〉という意識ができた。

 少なくとも上の実験結果を上手く説明できますね。

 〈私〉なんて、そんなちっぽけなものだと。死後の世界も、神も、幽体離脱もすべて脳の錯覚。
 
 前野先生、自我のあるロボット作っていいですか?と豪語してます。時代は、そこまで来てるんだ。そういうロボットに介護されるようになるのかしら?私ぐらいの世代は・・・。

 少なくとも、「我思う故に我あり」というデカルト以来の、傲慢な西洋近代の終わりを感じました。