善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。

悪人正機Wikipedia

詳しい解説は、上のリンクをご覧ください。

ざっというと、善人でもなお浄土に往生することができる、まして悪人ならばいうまでもなく(往生できる)。

「(自分が往生するために善行を積まない)悪人こそ、浄土に生まれ変われる。(善行をつむ利己的な)善人でもいけるけどね。」ぐらいですかね。

 ある時、これを逆の意味に解釈している人がいるのに気づいた。うちの母方の伯母である。

 まだ大学生だった私は、そのとき「え?それ逆じゃないの?」と言ったが、「そんなことないよ。」みたいな会話があって、うやむやに。

 うちの伯母のは、善人正機説だったのだ。けっこう他所にもいらっしゃるんじゃないか。

 後になって、当時知り合いだった精神科医にその話をすると、「その伯母さんは、自分を『善人』だと思っていると言うことですね。」と彼は言った。

 なるほど、古文の字義の解釈など、中卒(昔の女学校の試験に受かったが、行ってはいないと自己申告)の伯母には「そんなもん、知らん。」だったのだ。

 でも、そう考えたときの、悪人正機説は、実に正しいのだ。

 うちの伯母って、親戚の中の彼女より年若な人が亡くなったとき、こういうのだ。
 
「私のお葬式に来てくれる人が、一人減っちゃったじゃない。」こういう人を、善人というのよ。


 法然や親鸞は、さすがですね。