「世間」とは何か (講談社現代新書)/阿部 謹也

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社会学の研究者である著者が、ヨーロッパ社会科学の叙述の基盤にある共通の世界観を欠いている日本で、日本人研究者が書く社会学の論文の叙述に抱いた違和感を意識して行く過程でたどり着いた「世間」という概念を、日本の古典から近代までの文献の中から、読み解く。
読むのに時間がかかりました。どうしても休み休みになってしまう。鴻上さんの『「空気」と「世間」』で紹介されていた阿部謹也氏なんですが、一般に名前が広まらなかったのは、文章に魅力というか読みやすさが欠けていたからかなと思います。ちょっと退屈なんですよね。読んでて・・・。
なので「世間」ってなんだろうと意識的に理解したい方は、さきに鴻上さんの本をお勧めします。
「空気」と「世間」 (講談社現代新書)/鴻上尚史

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世間ですけど、阿部氏のこの本で語られている要点を、わたくしがまとめますと、
・世間は、理屈を超えた日本人の生活の枠組みであり実態であり、所与のものである。
・世間の掟としての、2つの原則
①長幼の序
②贈与・互酬の原理
・自分の名誉より世間の名誉が大事
(無実なのに、世間を騒がせたといって謝罪する人が多い)
・権威が世間なので、皆と行動をともにするとき、できるだけ皆に合わせようとする
・上記の結果として、個性的に生きたいと思っても、個性的に生きることは出来ないことになる
1995年に出版されていますので、今も世間は、盤石かというと、そうでもなくなってると思います。
芸能界で若い芸能人が、「お騒がせしました」とか、よく言ってるんですが、ちょっと意味が変わってきたんじゃないかと感じます。私には、「空疎」に見えます。
まがりなりにも、個人情報保護法とか、人権とか、個人を支える思想が脆弱ながらも出来てきつつある。
まあ、小保方さんのご両親とか失踪しちゃったみたいですけどね。重大な犯罪を犯したひとの家族は、大体同じようになりますね。でも、これ日本の世間の話だけかというと、欧米でも自然の感情は同じですよ。ただ「個人」の尊厳を冒してはならないという建前があるので、公にはできない。
逆の例として、日本で宝くじに当たった人が秘密にするのは、世間の人がおこぼれにあずかるのを当然と思うからですね。「世間」の掟では、気前よくふるまわなければならなくなる。ここで互酬の原則が働くか?集団に隠れることができるので働きません。これは欧米では秘密にしません。たかる人に「なんで?」と言えますよね。「個人」の自由が建前だから。その違いが出ますね。
「世間」の効用ですけど、競争しなくて済むんですね。世間の掟さえ守って、世間を騒がせず、周囲に同調していれば、安定した居場所が確保される。「安定」好みの日本人には、なかなか手離せないんですね。
いま、安倍政権が、金銭保証で企業の解雇を自由にできる法案を準備しているそうです。そうなると競争社会化が進むので、きっと「世間」の在り方の変化が進むでしょうね。
どうすすむのかわからないけど・・・。

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社会学の研究者である著者が、ヨーロッパ社会科学の叙述の基盤にある共通の世界観を欠いている日本で、日本人研究者が書く社会学の論文の叙述に抱いた違和感を意識して行く過程でたどり着いた「世間」という概念を、日本の古典から近代までの文献の中から、読み解く。
読むのに時間がかかりました。どうしても休み休みになってしまう。鴻上さんの『「空気」と「世間」』で紹介されていた阿部謹也氏なんですが、一般に名前が広まらなかったのは、文章に魅力というか読みやすさが欠けていたからかなと思います。ちょっと退屈なんですよね。読んでて・・・。
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・世間は、理屈を超えた日本人の生活の枠組みであり実態であり、所与のものである。
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①長幼の序
②贈与・互酬の原理
・自分の名誉より世間の名誉が大事
(無実なのに、世間を騒がせたといって謝罪する人が多い)
・権威が世間なので、皆と行動をともにするとき、できるだけ皆に合わせようとする
・上記の結果として、個性的に生きたいと思っても、個性的に生きることは出来ないことになる
1995年に出版されていますので、今も世間は、盤石かというと、そうでもなくなってると思います。
芸能界で若い芸能人が、「お騒がせしました」とか、よく言ってるんですが、ちょっと意味が変わってきたんじゃないかと感じます。私には、「空疎」に見えます。
まがりなりにも、個人情報保護法とか、人権とか、個人を支える思想が脆弱ながらも出来てきつつある。
まあ、小保方さんのご両親とか失踪しちゃったみたいですけどね。重大な犯罪を犯したひとの家族は、大体同じようになりますね。でも、これ日本の世間の話だけかというと、欧米でも自然の感情は同じですよ。ただ「個人」の尊厳を冒してはならないという建前があるので、公にはできない。
逆の例として、日本で宝くじに当たった人が秘密にするのは、世間の人がおこぼれにあずかるのを当然と思うからですね。「世間」の掟では、気前よくふるまわなければならなくなる。ここで互酬の原則が働くか?集団に隠れることができるので働きません。これは欧米では秘密にしません。たかる人に「なんで?」と言えますよね。「個人」の自由が建前だから。その違いが出ますね。
「世間」の効用ですけど、競争しなくて済むんですね。世間の掟さえ守って、世間を騒がせず、周囲に同調していれば、安定した居場所が確保される。「安定」好みの日本人には、なかなか手離せないんですね。
いま、安倍政権が、金銭保証で企業の解雇を自由にできる法案を準備しているそうです。そうなると競争社会化が進むので、きっと「世間」の在り方の変化が進むでしょうね。
どうすすむのかわからないけど・・・。