ブロークバック・マウンテン [Blu-ray]/ヒース・レジャー,ジェイク・ギレンホール,アン・ハサウェイ

¥2,037
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1963年夏、ワイオミング州のブロークバック・マウンテンの山中で羊の放牧を行う季節労働者として、牧場手伝いのイニスとロデオ乗りのジャックが雇われた。2人は過酷な労働を通して友情を深めていったが、ある夜、ジャックがイニスに誘いをかけ、2人は一線を越えてしまう。
労働契約の終了後、2人ははっきりと再会の約束をしないまま別れ、その年の秋にイニスは婚約者のアルマと結婚し、やがて2人の娘の父親になる。
一方、ジャックは再会を期待して翌年もブロークバック・マウンテンでの仕事を求めるが、仕事を断られた上にイニスが来ていないことを知る。失意のジャックはテキサスに流れ着き、そこでロデオ・クイーンのラリーンと結婚。彼女の父親の会社で働くようになった。
4年後、ジャックがイニスの元を訪ね、2人は再会する・・
ヒース・レジャーの名声を高からしめた、2005年のゲイ・ラヴ・ストーリー。サブ・カルチャー的な扱いではなく、男らしい男同士の恋愛が、描かれている点が、この時点で新しかったのだと思います。
ジャックの方がゲイで、イニスはゲイではない。ただ、2人とも女性と結婚して子供をもうけているので、ゲイの人もみんな女性と「できる」んですよね。
1963年のワイオミング州という舞台設定ですので、平気でゲイに対してリンチが起きる時代。
このリンチが起きる理由なんですけど、旧約聖書に
「男がもし、女と寝るように男と寝るなら、ふたりは忌みきらうべきことをしたのである。彼らは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある。」(レビ20:13、新改訳聖書)
という死刑にあたる規定があるので、リンチは、ユダヤ・キリスト教徒にとって、罪悪感なく、しなくてはならないことと、考えられていたと思います。「殺されても、殺された方に責任がある」と言ってますからね。
この他にも、昔アメリカの最高裁の判事が、「もし同性のセックスを許すなら、動物とセックスすることをどうやって止められるだろう。」と言ったといわれてて、「獣姦(これも旧約聖書レビ記の禁止事項)」と同じくくりだったんですね。
現在、アメリカでは同性婚は「合憲」となってます。「人権」が「宗教」に勝利したということですね。
個人的には、同性婚は、行きすぎのような気がします。ローマ法王、訪米中に同性愛者の友人と面会
上の記事の中のフラシスコ法王の立場を好ましく感じます。「同性愛者を嫌悪せず、排斥せず、人間として愛情と尊敬を持って扱うが、同性婚の合法化には反対の立場」
私は、保守主義なんだな。
カウボーイって、アメリカでは「侍」にあたると思っていいんですね。男らしい男、よく煙草の「マルボロータイプの男」っていう言葉があるんですね。なので、カウボーイのゲイを描くっていうのは、一種タブーだったんです。
この前の、大相撲の八百長に匹敵するような感じだったんじゃないかと思います。
アン・リー監督は、台湾人なので、外国人の立場から、それが可能だったんだろうと思います。
作品としては、わたしは、ヒース・レジャーは好みのタイプじゃないので、この映画全く「萌え」るとかありません。相手役もあんまり・・。同性愛を描くなら、どっちかは細目の美少年タイプじゃなきゃと思います。

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1963年夏、ワイオミング州のブロークバック・マウンテンの山中で羊の放牧を行う季節労働者として、牧場手伝いのイニスとロデオ乗りのジャックが雇われた。2人は過酷な労働を通して友情を深めていったが、ある夜、ジャックがイニスに誘いをかけ、2人は一線を越えてしまう。
労働契約の終了後、2人ははっきりと再会の約束をしないまま別れ、その年の秋にイニスは婚約者のアルマと結婚し、やがて2人の娘の父親になる。
一方、ジャックは再会を期待して翌年もブロークバック・マウンテンでの仕事を求めるが、仕事を断られた上にイニスが来ていないことを知る。失意のジャックはテキサスに流れ着き、そこでロデオ・クイーンのラリーンと結婚。彼女の父親の会社で働くようになった。
4年後、ジャックがイニスの元を訪ね、2人は再会する・・
ヒース・レジャーの名声を高からしめた、2005年のゲイ・ラヴ・ストーリー。サブ・カルチャー的な扱いではなく、男らしい男同士の恋愛が、描かれている点が、この時点で新しかったのだと思います。
ジャックの方がゲイで、イニスはゲイではない。ただ、2人とも女性と結婚して子供をもうけているので、ゲイの人もみんな女性と「できる」んですよね。
1963年のワイオミング州という舞台設定ですので、平気でゲイに対してリンチが起きる時代。
このリンチが起きる理由なんですけど、旧約聖書に
「男がもし、女と寝るように男と寝るなら、ふたりは忌みきらうべきことをしたのである。彼らは必ず殺されなければならない。その血の責任は彼らにある。」(レビ20:13、新改訳聖書)
という死刑にあたる規定があるので、リンチは、ユダヤ・キリスト教徒にとって、罪悪感なく、しなくてはならないことと、考えられていたと思います。「殺されても、殺された方に責任がある」と言ってますからね。
この他にも、昔アメリカの最高裁の判事が、「もし同性のセックスを許すなら、動物とセックスすることをどうやって止められるだろう。」と言ったといわれてて、「獣姦(これも旧約聖書レビ記の禁止事項)」と同じくくりだったんですね。
現在、アメリカでは同性婚は「合憲」となってます。「人権」が「宗教」に勝利したということですね。
個人的には、同性婚は、行きすぎのような気がします。ローマ法王、訪米中に同性愛者の友人と面会
上の記事の中のフラシスコ法王の立場を好ましく感じます。「同性愛者を嫌悪せず、排斥せず、人間として愛情と尊敬を持って扱うが、同性婚の合法化には反対の立場」
私は、保守主義なんだな。
カウボーイって、アメリカでは「侍」にあたると思っていいんですね。男らしい男、よく煙草の「マルボロータイプの男」っていう言葉があるんですね。なので、カウボーイのゲイを描くっていうのは、一種タブーだったんです。
この前の、大相撲の八百長に匹敵するような感じだったんじゃないかと思います。
アン・リー監督は、台湾人なので、外国人の立場から、それが可能だったんだろうと思います。
作品としては、わたしは、ヒース・レジャーは好みのタイプじゃないので、この映画全く「萌え」るとかありません。相手役もあんまり・・。同性愛を描くなら、どっちかは細目の美少年タイプじゃなきゃと思います。