koukami「空気」と「世間」 (講談社現代新書)/鴻上尚史

¥864
Amazon.co.jp

「世間」が流動化したものが「空気」であると著者は、主張する。「世間」と「空気」に苦しんで、そこから逃げ出したい人に、日本にかすかに出来出した「社会」に入っていく方法を指南する。


 一番最初に、書きたいことは鴻上さんの文章のうまさです。人を引き込む出来のいい小説のような一気読みさせる文章です。


 さて、「空気」といえば山本七平ですけど、「世間」を社会学的に分析された方がいたんですね。阿部謹也という大学の社会学の先生です。

「「世間」という言葉は自分と利害関係のある人々と将来利害関係をもつであろう人々の全体の総称なのである。」

鴻上さんは、それを紹介してくれてます。「世間」の3つの基本ルールと2つのその結果の特徴を上げています。

1、贈与・互酬の関係

2、長幼の序

3、共通の時間意識

4、差別的で排他的

5、神秘性


1、が少しわかりにくいのですけど、贈り物を贈ったり返したりすることで、個人に送っているのではなくその人の地位に送っていることが特徴ですね。盆暮の付け届けとか、冠婚葬祭のお祝い、香典、そのお返し。農村で病気をした農家の刈り取りを別の農家がやってくれたら、未来のお返しは当然の権利となるみたいなことですね。

3、共通の時間意識と言うのは、共に過ごした時間が長いと共同体意識がもてるということです。なので、会社の飲み会に参加しないとその人の立場が悪くなるとかいうことに代表されるようなことです。

4、差別的で排他的というのは、知り合いのグループで電車の席を奪ってしまう小母さんの話が紹介されてます。自分の「世間」以外の人のことは、「知らない」になるのですね。

5、意味不明な儀式がある場合もあること。

一番最初に、3が崩れ出してるようですね。


 最初は農村、それがまるっと企業に移行した「世間」が、いま崩れ出している。でも欧米にあるような「社会」はいまだ存在していない。一神教の神だけとの関係を考える「個人」がいないからですね。「個人」がいないと「社会」もできないということになります。

 ヨーロッパにも中世までは、「世間」はあったんですが、キリスト教が「社会」に変えたんですね。そして神が「世間」に取って変わったのだそうです。

 グループで食事行く例が挙げられてます。日本人は誰かが「ラーメン」と言ったらみんなで「ラーメン屋」に行くことになるが、欧米人はグループのうちの1人だけパスタ屋に行くこともありうるという話。個人の自立の話ではなく、支配するのが「神」か「世間」かの違いだから。

 「他人に迷惑をかけない人間になれ」とよく言われますね。そうやって言われ続けた人は、他人との接触を避けるようになり、自分の明確な欲望を持つことに戸惑うと、鴻上さんが書いてます。これでは、何が「迷惑」なのかわからない異文化の人と接触できません。

 ひきこもりは、上の「他人に迷惑をかけるのを避けようとする」繊細な人がなるのではないかなと思いました。

 なんか「さすが」だと思いました。中身はすごく濃いのに、身近な例が多くてひきこまれるせいかあっさり読めてしまいます。

 鴻上尚史のお芝居も機会があったら見てみたいです。