フルメタル・ジャケット [DVD]/マシュー・モディーン,リー・アーメイ,ビンセント・ドノフリオ

¥1,575
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ベトナム戦争時、アメリカ海兵隊に志願した青年たちは、サウスカロライナ州のパリス・アイランド海兵隊訓練キャンプで厳しい教練を受ける。キャンプの鬼教官・ハートマン軍曹の指導のもとで行われる訓練は、徹底的な叱責と罵倒、殴る蹴るの体罰が加えられ続けるという、心身ともに過酷を極めるものだった。さらに連帯責任による懲罰、訓練生の間で行われるいじめなど閉鎖的な空間で受ける社会的ストレスが次々と描かれていく。落ちこぼれだった訓練生レナード(微笑みデブ)はこれにより精神に変調をきたし、卒業前夜にハートマンを射殺し自害する。
厳しい訓練を耐え抜き一人前の海兵隊員となった彼らは、ベトナムへ送られる。テト攻勢の第一撃を受けた後、前線での取材を命じられた報道部員のジョーカーは、訓練所での同期であったカウボーイと再会し、彼の部隊に同行することとなる。ある日カウボーイたちは、情報部から敵の後退を知らされ、その確認のためにフエ市街に先遣される。しかし交戦地帯で指揮官をブービートラップで失った上に敵の狙撃を受け、部隊は混乱する。
フル・メタル・ジャケットは、『被覆鋼弾』のことで弾体の鉛を銅などで覆った機関銃などの弾丸のことである。
この映画を見て前半の海兵隊の訓練キャンプで様々な背景や性格をもつ若者を戦闘場面で人を殺せる人間に作り替えるんですね。西洋ではキリスト教に基づく人格教育を行うんでしょうけど、それでは敵を殺せないので人を上官の命令に絶対服従する獣に作り替える。
前のブログで書いた山本七平の本に人を殺すのは包丁ではなく、包丁を持った人間の思想だと書いてありましたが、その通りという訳です。
フル・メタル・ジャケットは、兵士一人一人の思想の隠喩なのだろうと思います。
そのような思想を持たせた兵士達が、アジアへ行って何をやるかといえば無差別殺戮ですね。近代戦では、軍隊は市民を殺してはならないことになっているんですが、農民の格好したゲリラだ、スパイだと理屈をつければ、無差別にベトナム人を殺せる訳です。
そして、ベトナムに行った兵士たちにベトナム人の売春婦が売り込みに来るんです。そういう場面が2回あって、2回とも女性がサングラスをしてる。戦争中には、女は顔をさらせない行動に駆り立てられると言いたいんだなと思いました。
物量の豊富なアメリカの戦争のやり方や人種差別に対する批判も少しはあるのかもしれないですけど、戦争というのはこういう物だとスタンリー・キューブリックは言いたいのだと思います。
そこには、人間の思想というもの対する情緒的な偏向・甘えが一切ないですね。人間は、崇高だとも獣だとも言ってない。人を殺せる人間に対する嫌悪感もない。
それは、最後にベトナム人の女性スナイパーが撃たれて瀕死の状態で『shoot me...,shoot me...』と繰り返すとき、撃ってやるのが優しい行動だろうというところでわかる。という場面で映画が終わっている。
こういう所から、戦争や人間の社会についての議論を始めないと何かおためごかしな物になる。
スタンリー・キューブリックは、とにかくそういう透徹した視点を持った映画監督だったよなと感心しますね。

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ベトナム戦争時、アメリカ海兵隊に志願した青年たちは、サウスカロライナ州のパリス・アイランド海兵隊訓練キャンプで厳しい教練を受ける。キャンプの鬼教官・ハートマン軍曹の指導のもとで行われる訓練は、徹底的な叱責と罵倒、殴る蹴るの体罰が加えられ続けるという、心身ともに過酷を極めるものだった。さらに連帯責任による懲罰、訓練生の間で行われるいじめなど閉鎖的な空間で受ける社会的ストレスが次々と描かれていく。落ちこぼれだった訓練生レナード(微笑みデブ)はこれにより精神に変調をきたし、卒業前夜にハートマンを射殺し自害する。
厳しい訓練を耐え抜き一人前の海兵隊員となった彼らは、ベトナムへ送られる。テト攻勢の第一撃を受けた後、前線での取材を命じられた報道部員のジョーカーは、訓練所での同期であったカウボーイと再会し、彼の部隊に同行することとなる。ある日カウボーイたちは、情報部から敵の後退を知らされ、その確認のためにフエ市街に先遣される。しかし交戦地帯で指揮官をブービートラップで失った上に敵の狙撃を受け、部隊は混乱する。
フル・メタル・ジャケットは、『被覆鋼弾』のことで弾体の鉛を銅などで覆った機関銃などの弾丸のことである。
この映画を見て前半の海兵隊の訓練キャンプで様々な背景や性格をもつ若者を戦闘場面で人を殺せる人間に作り替えるんですね。西洋ではキリスト教に基づく人格教育を行うんでしょうけど、それでは敵を殺せないので人を上官の命令に絶対服従する獣に作り替える。
前のブログで書いた山本七平の本に人を殺すのは包丁ではなく、包丁を持った人間の思想だと書いてありましたが、その通りという訳です。
フル・メタル・ジャケットは、兵士一人一人の思想の隠喩なのだろうと思います。
そのような思想を持たせた兵士達が、アジアへ行って何をやるかといえば無差別殺戮ですね。近代戦では、軍隊は市民を殺してはならないことになっているんですが、農民の格好したゲリラだ、スパイだと理屈をつければ、無差別にベトナム人を殺せる訳です。
そして、ベトナムに行った兵士たちにベトナム人の売春婦が売り込みに来るんです。そういう場面が2回あって、2回とも女性がサングラスをしてる。戦争中には、女は顔をさらせない行動に駆り立てられると言いたいんだなと思いました。
物量の豊富なアメリカの戦争のやり方や人種差別に対する批判も少しはあるのかもしれないですけど、戦争というのはこういう物だとスタンリー・キューブリックは言いたいのだと思います。
そこには、人間の思想というもの対する情緒的な偏向・甘えが一切ないですね。人間は、崇高だとも獣だとも言ってない。人を殺せる人間に対する嫌悪感もない。
それは、最後にベトナム人の女性スナイパーが撃たれて瀕死の状態で『shoot me...,shoot me...』と繰り返すとき、撃ってやるのが優しい行動だろうというところでわかる。という場面で映画が終わっている。
こういう所から、戦争や人間の社会についての議論を始めないと何かおためごかしな物になる。
スタンリー・キューブリックは、とにかくそういう透徹した視点を持った映画監督だったよなと感心しますね。
