日本のこれからのエネルギー政策を決める審議会が開かれて議論が行われ、また審議会メンバーの人事が問題になっている昨今ですが、暇なときにネットでダイヤモンドオンライン見てて次のような記事を発見しました。
ごめんなさい。
原子力安全神話は僕たちが形成した/森達也
大学の教師をしている筆者が大学での講義の後、学生の一人から受けた質問から書きあげた記事です。こういうの、実は作り話かもしれないなと思いますが、一定の真実を含んだ話で同感するところがあったので、リンクを貼りました。
学生の一人が質問したのは、「何故人々が「原発は安全だ」という神話を信じたのか?」ということです。学生が、「スサノオミコトがヤマタノオロチを退治したと思うか。」とまず聞いたというので、私はなんだかこの回りくどい質問の仕方に親近感を覚えました。
しかし、最初に「何故授業中に質問しないの?」という森氏の質問に「誰も質問しないから。場の空気がありますから。」と答えていて、最後の結論にもこのやりとりがリフレインされるのですよね。
何故、原発安全神話がまかり通ってしまったのか。だれも、古事記の神話やギリシャ神話を事実だとは信じないのに、原発の安全神話が唯一の被爆国であり、先の大戦の記憶も生々しい時代の日本で優位を占めてしまったのか。
森氏は、色々学生とやり取りした後に、「授業中に質問しないからだよ。」と答える。
場の空気が作られる前に、有効な反論をしなくてはいけないのにそれをしないからだという意見はそのとおりだと思います。
そして学生が初めて反論する。「僕たちは、その時代にまだ生まれてません。」そして、この記事のタイトルにつながるわけです。
「空気」という言葉を「支配的な共同幻想」という意味で使いだした山本七平は、自分の研究がネットの一般向け記事にまでなった事を草場の陰で喜んでいるでしょうか。
日本の諸問題は、この間違った「空気」を合理的に打破できる議論を日本人が自ら公の場でできるようになるのかどうかにかかっているなあと思います。
ごめんなさい。
原子力安全神話は僕たちが形成した/森達也
大学の教師をしている筆者が大学での講義の後、学生の一人から受けた質問から書きあげた記事です。こういうの、実は作り話かもしれないなと思いますが、一定の真実を含んだ話で同感するところがあったので、リンクを貼りました。
学生の一人が質問したのは、「何故人々が「原発は安全だ」という神話を信じたのか?」ということです。学生が、「スサノオミコトがヤマタノオロチを退治したと思うか。」とまず聞いたというので、私はなんだかこの回りくどい質問の仕方に親近感を覚えました。
しかし、最初に「何故授業中に質問しないの?」という森氏の質問に「誰も質問しないから。場の空気がありますから。」と答えていて、最後の結論にもこのやりとりがリフレインされるのですよね。
何故、原発安全神話がまかり通ってしまったのか。だれも、古事記の神話やギリシャ神話を事実だとは信じないのに、原発の安全神話が唯一の被爆国であり、先の大戦の記憶も生々しい時代の日本で優位を占めてしまったのか。
森氏は、色々学生とやり取りした後に、「授業中に質問しないからだよ。」と答える。
場の空気が作られる前に、有効な反論をしなくてはいけないのにそれをしないからだという意見はそのとおりだと思います。
そして学生が初めて反論する。「僕たちは、その時代にまだ生まれてません。」そして、この記事のタイトルにつながるわけです。
「空気」という言葉を「支配的な共同幻想」という意味で使いだした山本七平は、自分の研究がネットの一般向け記事にまでなった事を草場の陰で喜んでいるでしょうか。
日本の諸問題は、この間違った「空気」を合理的に打破できる議論を日本人が自ら公の場でできるようになるのかどうかにかかっているなあと思います。