日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)/イザベラ バード

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1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した(連れは通訳の日本人男性1名のみ)。また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。
これらの体験を1880年 "Unbeaten Tracks in Japan" 2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録である。この中で、英国公使ハリー・パークス、後に明治学院を設立するヘボン博士(ジェームス・カーティス・ヘボン)、同志社のJ.D.デイヴィスと新島夫妻(新島襄・新島八重)らを訪問、面会した記述も含まれている。その後、1885年に関西旅行の記述、その他を省略した普及版が出版される。
本書は明治期の外来人の視点を通して日本を知る貴重な文献である。特に、アイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況をつまびらかに紹介したほぼ唯一の文献である。
大分前に読んだ本で、この本を思い出したきっかけは昨日書いた「日本人が近代的個人になれるのか」という知識人が出す問題のヒントになるような話があると思ったんです。
それは、プライヴァシーという概念が西洋文明に接するまで日本に全くなかったと言う事実がこの本に実によく描写されているのです。
バードは、日本の東北の街道から遠く離れたあまり設備の良くない日本式宿屋に泊るのですが、障子の穴には必ず目がくっついてるというぐらい、隣の客室から部屋を覗かれまくっていて、「私のプライヴァシーが・・・。」と嘆いています。日本家屋の構造からいって離れにでも泊まらない限り個室は確保できないですから仕方がないと言ってしまえばそれまでですけど、これが明治時代の日本の当たり前の姿だったんですね。
プライヴァシーというものを主張しようとした時、「知られて悪い事でもしているのか。」という反論が返ってくるのが20世紀くらいまでの日本社会の在り方だったと思う。
平成15年に個人情報保護法が出来たとき、私なんか愕然としました。「に、日本で?」みたいな。
プライヴァシーを守りすぎの弊害が出ている事も指摘されている法律ですけど、これってもしかすると個人(主義)というものを作る土台になるかもしれないと思います。プライヴァシーがなくて個人(主義)が成り立つ方が不思議な気がする。プライヴァシーの確保というのは自分が自分であることを成り立たせるために必要不可欠なことなのだと思います。
『日本奥地紀行』は、アイヌに関する描写など読むと日本人がいかに異民族を差別しない人の良い民族かわかって誇らしい気分になります。

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1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した(連れは通訳の日本人男性1名のみ)。また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。
これらの体験を1880年 "Unbeaten Tracks in Japan" 2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録である。この中で、英国公使ハリー・パークス、後に明治学院を設立するヘボン博士(ジェームス・カーティス・ヘボン)、同志社のJ.D.デイヴィスと新島夫妻(新島襄・新島八重)らを訪問、面会した記述も含まれている。その後、1885年に関西旅行の記述、その他を省略した普及版が出版される。
本書は明治期の外来人の視点を通して日本を知る貴重な文献である。特に、アイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況をつまびらかに紹介したほぼ唯一の文献である。
大分前に読んだ本で、この本を思い出したきっかけは昨日書いた「日本人が近代的個人になれるのか」という知識人が出す問題のヒントになるような話があると思ったんです。
それは、プライヴァシーという概念が西洋文明に接するまで日本に全くなかったと言う事実がこの本に実によく描写されているのです。
バードは、日本の東北の街道から遠く離れたあまり設備の良くない日本式宿屋に泊るのですが、障子の穴には必ず目がくっついてるというぐらい、隣の客室から部屋を覗かれまくっていて、「私のプライヴァシーが・・・。」と嘆いています。日本家屋の構造からいって離れにでも泊まらない限り個室は確保できないですから仕方がないと言ってしまえばそれまでですけど、これが明治時代の日本の当たり前の姿だったんですね。
プライヴァシーというものを主張しようとした時、「知られて悪い事でもしているのか。」という反論が返ってくるのが20世紀くらいまでの日本社会の在り方だったと思う。
平成15年に個人情報保護法が出来たとき、私なんか愕然としました。「に、日本で?」みたいな。
プライヴァシーを守りすぎの弊害が出ている事も指摘されている法律ですけど、これってもしかすると個人(主義)というものを作る土台になるかもしれないと思います。プライヴァシーがなくて個人(主義)が成り立つ方が不思議な気がする。プライヴァシーの確保というのは自分が自分であることを成り立たせるために必要不可欠なことなのだと思います。
『日本奥地紀行』は、アイヌに関する描写など読むと日本人がいかに異民族を差別しない人の良い民族かわかって誇らしい気分になります。