一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)/ジョージ・オーウェル

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 1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。
 ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで体制への疑いは確信へと変わる。
 そして「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになるが・・・。


 これも買った後、長い事ツンドクになってた本。最後の訳者あとがきに、英国の読んでないのに読んだふりをしてしまう本のベスト1がこの作品だと書いてありました。なんかわかる気がする。読みやすくもないし読んで楽しくもないというのが私の本音の感想ですね。

 そんな感想しか持てない程度の私のいくつか気についたことを上げるなら、主人公のスミスが勤める真理省のなかで書類を送る管がオフィスのはりめぐらされている。これが『未来世紀ブラジル』の元ネタだったのかなと思いました。

 "二重思考"という考え方。トマス・ピンチョンの解説に見られるように、この世のどこにでもあると言う事実。例えば、中国の人権弾圧が西側諸国によって批判されるけれども、中国でもっとも広範囲に行われている「一人っ子政策」という人権侵害に文句をつける外国の首脳はいないとか。自分たちに都合のよい政策には西側も独裁国家を支持するわけです。社会主義国家に限らず権力にはつきもの考え方なんですね。

 インターネットと"テレスクリーン"の違いについて。「1984年」に出てくるテレスクリーンはテレビから派生して思いつかれたものらしく、テレビ放映の映像が映るのと同時にテレスクリーンによってそれを見ている人々が監視される装置として描かれる。
 しかし、インターネットはコンピュータがパーソナルな物に進化してしてそれがつながる事によって出来た物でインタラクティブとは言っても全ての端末に同一の映像が流れるってないからな。インターネットはほとんど誰もその発生を予測し得なかったと言われていますからね。いわゆる「ブラック・スワン」と呼ばれる概念に当たるそうですから。

 それから最後にスミスの人格が崩壊して行き、独裁者を愛するようになる様が、ジュリアという恋人を裏切ることによって起こる場面。頭だけで考えたことは人間の思想にはならないと言っているんでしょうね。この前宮台真司が、「家族を作れ」と言ってたなあ。身体的に他人を愛さないで正義について論じても意味はないと・・・。

 身につまされます。