雨月物語 [DVD]/京マチ子.水戸光子.田中絹代.森雅之.小沢栄.青山杉作

¥4,725
Amazon.co.jp

 天正十一年春。--琵琶湖周辺に荒れくるう羽柴、柴田間の戦火をぬって、北近江の陶工源十郎はつくりためた焼物を捌きに旅に上った。従う眷族のうち妻の宮木と子の源市は戦火を怖れて引返し、義弟の藤兵衛はその女房阿浜をすてて通りかかった羽柴勢にまぎれ入った。彼は侍分への出世を夢みていたのである。合戦間近の大溝城下で、源十郎はその陶器を数多注文した上臈風の美女にひかれる。彼女は朽木屋敷の若狭と名乗った。注文品を携えて屋敷を訪れた彼は、若狭と付添の老女から思いがけぬ饗応をうける。

 溝口健二のリアリズムにちょっと辟易するところのある私としては、溝口健二の作品を一作選ぶならば、この幻想を織り交ぜた『雨月物語』になってしまいます。

 この作品は、上田秋成怪異短編集『雨月物語』の2編「蛇性の婬」と「浅茅ヶ宿」を脚色して、蛇性に迷う男と浅茅が宿に帰る男を同一人物にして2編を組み合わせ、サイドストーリーとして戦乱の世で出世を夢見かつ敗れる義弟のリアルな話を作って幻想と現実を対比させています。この脚色がやはり見事。上田秋成の怪異と幻想を活かしつつ、映画独自の世界を作り上げています。

 この時代の日本映画界の最高のスタッフが作りだした美術、映像、音楽、演技、衣装どれをとっても「ああ、すごい」のひとこと。

 特に宮川一夫の撮影の美しさには打たれます。この人がいなければ、黒澤明の『羅生門』の金獅子賞も、なかったのではないかと思います。


 溝口健二の演出についてしばしば指摘される「ながまわし」。シーンを長い1カットで撮ることをさすのですが、この映画でも重要な場面で使われています。

 源十郎が家に戻って宮木を探し求める場面。脚本になんと書いてあるのだろう、セリフは「宮木、宮木、宮木」だけです。この場面を源十郎が空き家の家に入り、裏口からでて家の外を半周し、また表口から入って宮木を見つけるところまでを1カットで撮っています。「妻を探し求める」という表現としてこれ以上のものあるでしょうか。また、最後に宮木を見つける場面「人間は自分の見たいものを見る」という無常観を表すようで、このシーンには本当にまいったと思いました。

 世界の映画文化の遺産として永遠に記憶される作品だと思います。