昔、学生時代にフランスから来た留学生の男の子に「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」という諺を説明したら、彼が「フランスでは、そういうとき『君はろうそくになりたいのか。』というよ。」と教えてくれた。あまり三人目を邪魔にしないのだなと思った。
というわけで、フランスの文化は「参加」を要請する文化で「遠慮」などという概念はないので、魅力的な女性がいると三角関係になりやすいみたいです。
突然炎のごとく [DVD]/ジャンヌ・モロー,オスカー・ウェルナー,アンリ・セール

¥3,990
Amazon.co.jp
1962年のトリュフォー監督の長編3作目。
オーストリアの青年ジュール(オスカー・ヴェルナー)はモンパルナスでフランス青年のジム(アンリ・セール)と知り合った。文学という共通の趣味を持つ2人はすぐに打ち解け、無二の親友となる。2人はある時、幻燈を見て、アドリア海の島にある美術公園の女の顔に魅了された。それからしばらくして、2人はカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という女と知り合い、同時に恋に落ちてしまう。彼女は島の彫像の女と瓜ふたつだったからだ。ジュールは彼女に求婚し、2人はパリの同じアパートに住んだ。ジムは出版社と契約ができて作家生活の第1歩をふみ出しだ。3人で芝居見物に行った帰り、ジュールとジムが文学談義を始めると、カトリーヌは突然セーヌ川に飛び込んだりして2人を慌てさせた。やがて第一次世界大戦が始まり、ジュールとジムはそれぞれの祖国の軍人として戦線へ行ったが、ともに生きて祖国へ帰った。ライン河上流の田舎に住む山小屋にジムは招待された。その頃、ジュールとカトリーヌの間には6つになる娘もいたが、2人の間は冷えきっていた。ジュールはジムに彼女と結婚してくれと頼むのだったが、自分も側に置いてもらうという条件だった。3人の奇妙な共同生活が始まった。
一人の女性を同じくらいの真剣さで愛するジュールとジム。またその真剣さに優るとも劣らない男同士の友情が描かれる。
カトリーヌのような女性は境界性人格障害(ボーダー・ライン)と呼ばれるようなもので彼女の行動を一般的な行動規範に照らして論評しても無意味だと思う。
ただ、彼女を愛する男が複数存在したわけで、別の言葉でいいかえれば「ファム・ファタール(運命の女)」。それだけ魅力的な女性だったということになる。それをジャンヌ・モローが全く演技に見えない演技をしていて見事です。ジャンヌ・モローが素のままそこにいるように見える。
この映画のテーマは次の冒頭のセリフ。
「きみを愛している」とあなたは言った
「待って」とわたしは言った
「わたしを抱いて」とわたしは言おうとした
「もう用はない」とあなたは言った
男と女は違う生き物なので、恋愛を一致させることも不可能なら、恋愛と結婚を完全に一致させることもほぼ不可能。その不可能なことに真剣に挑戦した三人の人生が描かれたのがこの映画なのだと思います。
のちに色々な映画に引用される魅力的なシーンも多いのですが、ジムとカトリーヌが初めて結ばれるシーンが気にいっています。庭からカトリーヌの部屋に入ってくるジムがカトリーヌとキスしてそれが影となり庭の映像を切り取っているシーンはとても美しい。恋愛映画はこういう風にとってほしいなと思います。
Wikiで見たらこの映画がヒットした後、トリュフォー監督のもとには「カトリーヌはわたしです」という内容の手紙が世界中から届いたという。こういう手紙を書く人って「タイタニック」観てボートの先端でタイタニックごっこして海に落ちて死んだ人と同じくらい恥ずかしいと思います。気をつけたいです。
また女性解放運動に関係づけて政治的な文脈で評価することは、最も間違った見方だと思います。
というわけで、フランスの文化は「参加」を要請する文化で「遠慮」などという概念はないので、魅力的な女性がいると三角関係になりやすいみたいです。
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オーストリアの青年ジュール(オスカー・ヴェルナー)はモンパルナスでフランス青年のジム(アンリ・セール)と知り合った。文学という共通の趣味を持つ2人はすぐに打ち解け、無二の親友となる。2人はある時、幻燈を見て、アドリア海の島にある美術公園の女の顔に魅了された。それからしばらくして、2人はカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という女と知り合い、同時に恋に落ちてしまう。彼女は島の彫像の女と瓜ふたつだったからだ。ジュールは彼女に求婚し、2人はパリの同じアパートに住んだ。ジムは出版社と契約ができて作家生活の第1歩をふみ出しだ。3人で芝居見物に行った帰り、ジュールとジムが文学談義を始めると、カトリーヌは突然セーヌ川に飛び込んだりして2人を慌てさせた。やがて第一次世界大戦が始まり、ジュールとジムはそれぞれの祖国の軍人として戦線へ行ったが、ともに生きて祖国へ帰った。ライン河上流の田舎に住む山小屋にジムは招待された。その頃、ジュールとカトリーヌの間には6つになる娘もいたが、2人の間は冷えきっていた。ジュールはジムに彼女と結婚してくれと頼むのだったが、自分も側に置いてもらうという条件だった。3人の奇妙な共同生活が始まった。
一人の女性を同じくらいの真剣さで愛するジュールとジム。またその真剣さに優るとも劣らない男同士の友情が描かれる。
カトリーヌのような女性は境界性人格障害(ボーダー・ライン)と呼ばれるようなもので彼女の行動を一般的な行動規範に照らして論評しても無意味だと思う。
ただ、彼女を愛する男が複数存在したわけで、別の言葉でいいかえれば「ファム・ファタール(運命の女)」。それだけ魅力的な女性だったということになる。それをジャンヌ・モローが全く演技に見えない演技をしていて見事です。ジャンヌ・モローが素のままそこにいるように見える。
この映画のテーマは次の冒頭のセリフ。
「きみを愛している」とあなたは言った
「待って」とわたしは言った
「わたしを抱いて」とわたしは言おうとした
「もう用はない」とあなたは言った
男と女は違う生き物なので、恋愛を一致させることも不可能なら、恋愛と結婚を完全に一致させることもほぼ不可能。その不可能なことに真剣に挑戦した三人の人生が描かれたのがこの映画なのだと思います。
のちに色々な映画に引用される魅力的なシーンも多いのですが、ジムとカトリーヌが初めて結ばれるシーンが気にいっています。庭からカトリーヌの部屋に入ってくるジムがカトリーヌとキスしてそれが影となり庭の映像を切り取っているシーンはとても美しい。恋愛映画はこういう風にとってほしいなと思います。
Wikiで見たらこの映画がヒットした後、トリュフォー監督のもとには「カトリーヌはわたしです」という内容の手紙が世界中から届いたという。こういう手紙を書く人って「タイタニック」観てボートの先端でタイタニックごっこして海に落ちて死んだ人と同じくらい恥ずかしいと思います。気をつけたいです。
また女性解放運動に関係づけて政治的な文脈で評価することは、最も間違った見方だと思います。