天人唐草―自選作品集 (文春文庫―ビジュアル版)/山岸 凉子

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 主人公(岡村響子)は、厳格で古風な(封建的な)父親のもとで育てられ、控えめで大人しい「女の子」であるよう厳しくしつけられる。とりわけ「性に関することは時代遅れなくらいに厳しかった」。
 少女だった主人公が「イヌフグリ」(「犬の陰嚢」の意味)の花をみつけ、友だちに名前を聞く。しかし何故か「きゃー やだ!」と付け加える友だち。響子はなにが「やだ」なのか不思議でならない。食卓で両親に「イヌフグリってどういう意味?」と聞くと、母親は「天人唐草」という別名を教えようとするが、響子は納得せず、しつこく聞いてしまう。あげくに、父親から「響子! いい加減にしないか 女の子がそんな言葉を口に出すもんじゃない!」と怒鳴られる。この世の終わりのような衝撃をうける響子。
 響子は父を誇らしく思う一方で、その父からことあるごとに提示される女性像に支配されていく。思春期から成人になるまでに、響子は、植え付けられた女性像と現実との乖離に苦しみ続け、終には・・・。


1979年「週刊少女コミック」に掲載。

これ、山岸さんの作品を論評するときに取り上げられることの非常に多い傑作です。私も昔読んで感銘を受けました。

主人公が厳格な父親のせいで、自分の女性としての価値観を獲得できなかったことに、非常に厳しい目を向ける山岸さんの作者としての視線が怖い。

「なんで、反抗期ないの。」と思う凡人ののわたくし。哺乳類としての人間を考えれば当然あるべきものが描かれない。その描かれない状態を作品の中で違和感抱かせずにストーリーとして提示できてしまう作者の非凡な作家性。はっきり言って凄いです。

山岸さんの作品に出てくる女の子は妙に真面目で、淑やかなことが多いです。また、反抗期(思春期)を描いたといえる作品にも出会ったことがないような気がします。

 山岸さんご自身がはっきりとした反抗期を経ずに大人になれた方なのかもしれません。そういうストレスは作品の中に昇華していくことが出来るタイプの。

 現在執筆中の『テレプシコーラ』のなかでも、母親の「絶対バレリーナに」という価値観を押し付けられて、主人公の姉が自殺するエピソードがあって、またまた「少しは、グレたらいいのに」と思うわたくし。ただ、年を取られたからでしょうか、そういう大人になれなかった少女に対する厳しい視線はさすがになく、逆に母親の悔恨が描かれています。

 また、ちょっとタイトルを忘れたのですが、少年が母親を想って自慰行為に耽るシーンが描かれた作品があって、そのことをあとで「男性に申し訳ない事をしてしまった。」と発言されていたのを覚えています。


 常識ある大人と言うのはこういう他者に対する思いやりを積み重ねてきたひとのことなのかと思います。