80日間世界一周 スペシャル・エディション [DVD]/デビッド・ニーブン,カンティンフラス,シャーリー・マクレーン

¥1,980
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 『八十日間世界一周(Around the World in 80 Days)』は、1872年に発表されたジュール・ヴェルヌの小説に基づいて制作された1956年のアメリカ映画。レヴューや舞台の大プロデューサーとして有名だったマイケル・トッド(Michael Todd)が初のプロデュースをした映画作品だったが、エリザベス・テーラーの3番目の夫として知られるトッドはこの作品の後に飛行機事故でこの世を去った。彼の最初で最後のこの作品は、1956年のアカデミー賞作品賞他4部門を受賞した。

物語は1872年10月2日のロンドンに始まる。主人公フィリアス・フォッグは裕福で独身貴族的な人生を謳歌していた。彼には、物事を尋常ではない正確さで行う習慣とホイスト(カードゲーム)に傾注する癖があった。それ以外の私生活は全く謎で、なぜ大金を持っているかも詳らかでない。が、ロンドンの紳士クラブ「リフォームクラブ」(The Reform Club) のメンバーは一部を除き気にしていないようだ。
そのせいで彼の元執事はフォッグのひげそりに使うお湯の温度を2°F間違えたために解雇されてしまい、新たにこれまた規則正しい生活を望んでいるパスパルトゥーが雇われた。
パスパルトゥーが雇われた日の遅く、「リフォーム・クラブ」でフォッグは他の紳士らと『デイリー・テレグラフ』紙のある記事について議論をした。同紙に載っていた「イギリス領インド帝国に新たに鉄道が設けられた」という記事について、フォッグは「これで世界を80日で一周することが可能になった」と主張したのだ。
フォッグは自らの全財産の半分、20,000ポンドを旅費に当て、残りの半分はクラブの仲間たちとの掛け金にした。もし80日間で世界一周を果たせなかった際には、彼は全財産を失うことになる。まだ困惑したままの新しい執事を伴い、彼はただちに出発する。フォッグは10月2日午後8時45分発の列車でロンドンを出発したので、彼のリフォームクラブへの帰還はそれから80日後の、12月21日の同時刻に設定されることとなった。
賭けの行方はいかに。


 主演のフォッグ氏役には品の良い紳士的風貌の持ち主であるデヴィッド・ニーヴン、パスパルトゥー役には「カンティンフラス」のニックネームで知られた世界的コメディアンのマリオ・モレノ、アウダ役は新進女優であったシャーリー・マクレーンがそれぞれ充てられた。
 数十人の有名な俳優が部分部分に入れ替わり立ち替わり登場したので、俳優と観客にとっては「スターを探せ」ごっこを楽しむことができ作品の魅力を高めた(たとえば、端役に過ぎない酒場のピアノ弾きがフランク・シナトラであったというようなお遊びである)。大俳優等がちょい役で出演することをこの作品以来「カメオ出演」というようになった。


 この作品は、私のこれまでのオールタイム・ベストワン。詩的な観光映画とでもいうのでしょうか。世界の珍しい文化や風俗を見せつつゲームを楽しむ真剣な遊び心がなんとも魅力的です。

 パスポートという意味の名をもつ執事パスパルトゥーに雇ったその日に4万ポンドの現金が入ったハンドバッグを預けるその不思議な信頼関係。パスパルトゥーはまさしく主人の旅行を可能にしてくれる鍵のような存在で、大車輪の活躍をします。

 作品のなかでフォッグがアウーダ姫に会ったあたりから変化していくところも好きな部分です。世界の美しさに魅せられて心優しくなっていくフォッグ。それをデヴィッド・ニーヴンが楽しそうに演じています。

 日本その他の国々を多数訪れますが、日本の横浜に降り立ち鎌倉の大仏に詣でたあとに訪れる神社は朱塗りの柱が目にも鮮やかで、これって京都の平安神宮じゃないのかと思ったのは私だけでしょうか?日本がこの程度のロケですので、他の国々も推して知るべし。かなりいい加減なものだという覚悟は必要かもしれません。

最後に船を買い、大西洋を渡る際に途中で燃料がなくなりかけ船上の燃やせるものをすべて引っぺがし、蒸気機関に放り込んでしまうシーンは特に大好きで、子供のころから何度もテレビで観ましたし、DVDも持っております。