先日、『リトル・トリー』(フォレスト・カーター著)を読み終えました。ぜひ、みんなに読んでほしい物語です。インディアン(アメリカ原住民)の知恵、考え方、そしてその生き方に共感し、感動しました。
少年インディアンのリトル・トリーが、祖父母との生活でいろいろなことを学んでいく姿を描いています。その中で祖父がリトル・トリーに語る言葉が重く、感動させてくれるのです。
「不思議なことに、愛したものを年取ってから思い出すときには、いいところばっかり思い出す。悪いところは思い出さねぇもんだ。悪いところなんか、どうでもよくなっちまうわけじゃ」
確かに苦労した日々も、一緒に苦労をともにした人々とのいい思い出になります。過ぎ去ったつらい出来事なんかどうでもよくなるのです。確かに起こってしまったことを、くよくよ考えなくなりました。
祖父はリトル・トリーに年を取ってわかったことを、よく教えます。6歳のリトル・トリーの聞く姿勢は大したものです。
「森を切りきざんだりせずに、いっしょに生きること。そうすりゃ、森はわしらにいつだって食べものを与えてくれる」
森の生き物や環境についても、多くの教訓を教えてくれます。生きていくうえで、本当に必要なものって何だろう?遊びも自然の中で見つかります。子供たちには、遊びを作る、楽しみを見つける能力が備わっているはずです。楽だからといって、ゲームを与えるのはどうかと思います。
「人にただなにかを与えるよりも、そのつくりかたを教えてあげられたならなおいい。そうすれば、相手は自分の力でうまくやっていくだろう。与えるばかりで教えなければ、一生与え続けることになりかねない。それでは親切のつもりがあだになる。相手はすっかり依存心を起こし、結局自分自身を失ってしまう」
「ある人たちはずっと与え続けることを望む。なぜなら、そうすることによって自分の見栄と優越感を満たすことができるからだ。本当は相手の自立を助けるようなことを教えてあげるべきなのに」
「ところが、そこが人間の妙なところで、一方では、見栄っぱりで偉ぶりたがっている人を嗅ぎつけて、自分からすり寄っていくやからもいる」
そう、これこそが格差社会を生む構造です。
最後に祖父が自分の死を前に言った言葉を紹介します。この言葉は、リトル・トリーの祖父だけではなく、他のインディアンの長老が亡くなるときにも、彼らが言う言葉です。精一杯生きてきたからこそ言える言葉だと思います。彼らは死にも前向きなのです。
「今生も悪くはなかったよ、リトル・トリー。次に生まれてくるときは、もっといいじゃろ。また会おうな」