夕食は、中華料理を食べに行くことになっているらしい。ボクがアメリカに来て、日本の料理を食べる機会がなかったのを見越して、中華料理店を予約しておいてくれたらしい。当時、日本料理も中華料理もオリエンタル・フードと一まとめに考えられていた。まあ、日本でも当時は和食と洋食と中華くらいにしか分かれていなかった。スパゲティといえばナポリタンしかなかった時代だ。
当時のほとんどのアメリカ人がそうだったように、キーフ家の人たちは全員、箸が使えなかった。ボクが箸を使うのを見て、みんな感心していた。今でこそ多くのアメリカ人が箸を使えるようになったが、一九七六年当時、ボクの会ったアメリカ人で箸を使えたのはケルチ家の面々だけだった。日本の我が家にホーム・ステイしているケリーの苦労が目に浮かんだ。
スライド上映の後、エレンと外出することになり、彼女の運転する車で彼女の友達の家に向かった。パーティーはその家の地下室で行われていて、そこには男女数人の高校生がいた。彼らはイーストリッジ高校の生徒に感じが似ていた。男たちは、ロックを聴きながら、ビールを飲んで、ビリヤードに熱中していた。エレンはボクを彼ら一人一人に紹介してくれた。男の一人が、ボクに空手ができるかどうか聞いてきた。当時ブルース・リーの影響か、この手の質問をする者が多かった。ボクが空手はできないが、日本の高校で柔道は習っていたと言うと、決まってみんなどよめく。そして、一歩後ずさりするのだ。ボクはビールを受け取ると、エレンに煙草をねだった。
ウッドストックのタウンスクエア。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の舞台にもなりそうな中西部の田舎町。あの映画を見るたびにウッドストックを思い出す。