十六歳のアメリカ ハイスクールの一日 十一、アメリカの歴史 28 | 六月の虫のブログ

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一一、アメリカの歴史 (American History) 

 二時限目はシスター・ラーソン (Sister Larson) が教えるアメリカ史の時間だ。アメリカ史は、十一年生の必須教科だ。シスター・ラーソンは、ドラマに出てくる教育ママが掛けるような端が吊り上がった眼鏡を掛けたシスター(修道女)だ。校長をはじめマクナマラ高校の先生のほとんどは、ファーザー(神父)かシスターだ。

 アメリカ史は、当初ボクの取った唯一の文系の授業(フランス語を除く)で、英語の読解力の要求される教科だ。宿題は教科書などの文献を読んでくることとエッセイを書いてくることで、ボクが宿題をする時間のほとんどはこのアメリカ史に費やした。アメリカが独立してから二百年しか経っておらず、歴史自体非常に短い。短いゆえ授業で一つの出来事を深く掘り下げることができる。授業では、例えば一七七三年に起きたボストンお茶会 (the Boston Tea Party) について教える場合、先生はお茶会の起きた背景、お茶会とは何か、そしてその影響を説明するわけで、ここまでは日本の歴史の授業と変わらない。日本の歴史の授業と異なるのは、事柄の解釈に先生や生徒自身の意見を述べ、クラスの中でいろいろな意見を戦わせることだった。授業の半分くらいの時間は討議に使われる。ボクは、この討議に加われるほどの英語力も無かったし、シスター・ラーソンもそこのところは理解していて、ボクに対して発言を求めることはほとんどなかった。したがって、ボクのアメリカ史の成績はテストや宿題のエッセイで決まった。

 アメリカでの筆記具の主流はボールペンで、書き間違えると、そのまま塗りつぶした。鉛筆でノートを取り、書き間違えると丁寧に消しゴムで消す当時の日本の高校生とは違った。消しゴムなどを使って、ゆっくりノートを取っている暇はない。また、先生もほとんど黒板にものを書かない。日本の先生の中には、わざわざ授業の要点を黒板にかいてくれる親切な先生がたが、マクナマラ高校にはいなかった。また、日本だと授業の終わりのベルが鳴っても、先生が授業を続ける場合があるが、ここでは授業の終わりのベルが鳴ると、生徒は一斉に席を立ち教室を出て行く。先生は言いたいことがあれば、生徒が教室を出ていく前に早口で言わなければならない。ほとんどの場合、先生もベルの鳴る少し前に必要なことは話し終え、残りの二、三分は次の授業の予告編か雑談をしてベルを待つ。最初は、先生が話している最中でも、ベルと同時に席を立つことに抵抗があったが、慣れればどうってことはなくなった。これが普通なのだ。


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シスター・ラーソン。小論文でボクが"US"と書くと必ず"the US"と"the"を書き加えてくれた。