アメリカへ (To the States)
一、一九七六年七月四日 (July 4, 1976)
ロータリー・クラブの交換留学生プログラムで、一年間のアメリカ留学が決まってから八ケ月が過ぎようとしている。留学が決まってから始めたお茶とお花も、相当上達したと思う。十六歳の高校生ということで、お姉さん方に可愛がってもらったこともあり、お茶もお花も大好きになった。アメリカに行くに当たって、日本の伝統的な華道と茶道を覚えておいて損はないだろうと始めたのだった。
華道、茶道もそうだが、アメリカ人に日本という国を知ってもらうべく、勉強もした。日本の歴史、地理や人口等の統計、祭りや歌舞伎などの芸能。一九七六年というと、アメリカではまだ日本車も少なく、カマロ、ムスタング、トランザムやカプリが若者の人気を集めていた時代だ。日本の電気製品もアメリカの製品に比べると、安っぽい感じがしていた頃で、日本人のアメリカ人に対するコンプレックスは、まだ大きかった。当時のアメリカは、自他共に認める世界で最上かつ最強の国だった。
七月四日、昼間からテレビを見ていた。世界中の船が汽笛を鳴らしながら、自由の女神の近くに集まっている。陸にいる人達も、お祭り騒ぎに盛り上がっている。夜のシーンになると、自由の女神が青白くライトで写し出され、暗い空には、花火が何百発も打ち上げられている。その日は、アメリカ独立二百年記念の日だった。こんなに楽しそうな国にもうすぐ行けると思うと、胸がわくわくすると同時に、他人に自慢したくなった。まだ海外旅行が、そう一般的でない時代だった。
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