ビート・ジェネレーション | 六月の虫のブログ

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数々のビジネス書を読み、ノートにまとめていることは以前にも書きました。


http://ameblo.jp/junebugmaymolly/entry-11921796944.html


読んでまとめるのに思った以上に時間がかかったのは、『7つの習慣』です。途中まで読んだとことでいい本だと思って、小学5年生の娘のクリスマス・プレゼントに『まんがでわかる7つの習慣』を買ってやりました。


読んだビジネス書は30冊を超え、それらをまとめたノートも10冊を超えました。


昨日、図書館で借りたビジネス書、『ストーリーから学ぶロードマップ戦略 新たなる戦略への旅路』を読み終え、今は『リバースイノベーション』を読んでいます。


読むのはビジネス書だけではなく小説も読みます。これらはノートにはまとめませんが・・・。


この年末年始に読んだのはビート・ジェネレーションと呼ばれるジャンルの小説、2冊です。


1冊目はジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』です。J.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』にも通じる感じがする破滅的な青春物語です。


そして、同じく昨日読み終えた2冊目が、サリンジャーの『フラニーとズーイ』(村上春樹訳)です。


訳者の村上春樹氏は、『フラニーとズーイ』は若い時に読んだ時に何も感じなかったことが45年後に読むと腑に落ちたと言っておられます。


私は最初のほうな何も腑に落ちませんでしたが、最後のズーイの二つの言葉を聞いて、それまでの霧が晴れたように腑に落ち、感動しました。


それは気を病んでいる妹、フラニーを心の闇から救うために兄であるズーイが彼女に語りかけた言葉です。


1年前の夏にフラニーは自分が演じた劇の後、彼女は憤慨し落ち込んでいた。ズーイはそのことについて気が病んでいるフラニーに語った。


「(前略) 君はうちに帰ってきたとき、観客たちの愚劣さについてくそみそにこき下ろしていた。ろくでもない『場違いな』笑い声が五列目の席から聞こえたって。うん、そうだよ、確かにそのとおりだ。そういうのってほんとにめげちゃうよな。僕もそれに反論はしない。でもね、なおかつ、そいつは君の知ったことじゃないんだよ。君がとやかく言うべきことじゃないんだよ、フラニー。アーティストが関心を払わなくちゃならないのは、ただある種の完璧を目指すことだ。そしてそれは他の誰でもない、自分自身にとっての完璧さなんだ。他人がどうこうなんて、そんなことを考える権限は君にはないんだ。本当にその通りなんだぜ。そんなことにいちいち頭を使うべきじゃない。僕の言いたいことはわかるかな?」(287ページ)


2つ目は、兄のシーモアがズーイとフラニーにもかつて言っていた言葉です。



「(前略) 僕がウェイカーと一緒にまさに玄関を出ていくとき、シーモアが僕に靴をきれいに磨くようにと言ったんだ。それで僕は頭にきちゃったわけだ。スタジオの観客なんてみんなうす馬鹿だ。アナウンサーだってうす馬鹿だ。スポンサーもうす馬鹿だ。そんな連中のためにわざわざ靴を磨き立てるなんてごめんだねと、僕はシーモアに言った。それにだいたい連中の座っている位置からは僕の靴なんて見えやしないんだ。でもとにかく靴は磨くんだ、と彼は言った。おまえは太ったおばさん(ファット・レディー)のために靴を磨くんだよ、彼はそう言った。何のことを言っているのか、僕には理解できなかったけど、彼は例のあのきわめてシーモア的な表情を浮かべていたので、僕は言われたとおりにした。太ったおばさんっていうのが何を意味するのか、彼は説明してくれなかったけど、それ以来番組に出るたびに、とにかく太ったおばさんのためにせっせと靴を磨いた。 (中略) そして―どう言えばいいんだろう。とにかく、シーモアがどうしてあの番組に出る前に僕に靴を磨かせたのか、はっきりとわかった気がした。それは筋のとおったことだった」

 フラニーは立ち上がっていた。彼女は顔に当てていた手を離し、両手で受話器を持った。「彼は私にもそう言った」と彼女は電話に向かって言った。「太ったおばさんのために、なにか愉快なことを言うんだよと、シーモアは一度言ったことがある」。

 (中略)

「俳優がどこで演技しようが、そんなことは僕にはどうでもいい。それが夏期公演だろうが、ラジオであろうが、テレビであろうが、君の想像できる限り最高にファッショナブルで、最高に栄養がいきわたってて、最高にゴージャスに日焼けした観客で埋まったブロードウェイの劇場であろうが。でも僕は君にひとつとんでもない秘密を打ち明けよう―ねえ、僕の話を聞いているかい?そこにはね、シーモアの言う太ったおばさんじゃない人間なんて、誰ひとりいないんだよ。 (中略) シーモアの言うところの太ったおばさんじゃない人間なんて、どこにもいやしないんだよ。君にはそれがわからないのか?その秘密が君にはわかっていないのかい?そして君にはまだわかっていないのかい―なあ、よく聞いてくれよーその太ったおばさんというのが実は誰なのか、君にはまだわからないのか?ああ、なんていうことだ、まったく。それはキリストその人なんだよ。まさにキリストその人なんだ。ああ、まったく」

 たぶん喜びに溢れてのことだろう。フラニーにできるのは、ただ両手でもって受話器を握りしめることだけだった。(288~291ページ)


この兄、ズーイの言葉で、妹、フラニーは救われました。


このあと、私が感じたことを書こうと思いましたが、みなさん自身で感じて解釈していただければと思い、書くのをやめます。


そう、みなさんが感じたことが正解だと思います。


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ビート・ジェネレーションって、どんな世代?


世の中やまわりのことがすべてが嫌になって、人生に疲れ果てたと思ってしまう世代のこと?


ビート・ジェネレーションから抜け出す言葉が上述のズーイの言葉なのかもしれません。


さて、ビート・ジェネレーションを経験したみなさんも、そうでないみなさんも、新年は素晴らしい年にしましょう!