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二七、カーシャウ家へ (つづき)
カーシャウ家が他の二家族と違ったのは、夕食のときにカーシャウ家ではアルコールを飲むことだった。カーシャウさんはビールが大好きで、ヨーロッパ産ビールの小瓶をよく飲んでいた。カーシャウ夫妻は、外交的でしばしばパーティーなどに出かけた。また、他の二家族では外食することがほとんどなかったが、カーシャウ夫妻は私をいろんなレストランへ連れて行ってくれた。外食のとき、私はほとんどの場合、魚料理を注文した。スチュワート家でも、ワドリー家でも、カーシャウ家でも、魚が食卓にのることはなかったからだ。一度、「フィッシュ・スティック」と呼ばれる冷凍の白身魚のフライを出してくれたことがあった。それは水っぽくてとても美味しいとはいえないもので、出した方も出された方も満足できる代物ではなかった。イリノイ州では、寿司なんて、見たことも聞いたこともない時代だ。それに、イリノイ州には海がない。さらに、シカゴは全米一の家畜の屠殺場があるところで、ステーキの本場だ。エビ、アサリや例の白身魚のフライは、シーフード・プラターとしてレストランのメニューにあるが、正当な魚料理など、レストランのメニューに一、二種類載っていればいいほうだった。メニューには、虹鱒のソテー、たまに舌鮃のソテーがあるくらいだ。私はソテーを注文し、(ほとんどの場合ないが)醤油を持ってきてくれるよう頼む。
つづく・・・
フィッシュ・スティック。今のものはどうかしならないが、当時のものはまずかった。
シーフード・プラター。当時はもっとまずそうだった。でも、写真のシーフード・プラター、$25(2000円)だって。「ふざけた値段つけやがって」って感じでしょ。これを注文して、ブログにアップした人には申し訳ないが・・・。
注意: 『十六歳のアメリカ』は、私の体験を基に書いていますが、フィクションです。