台風10号🌀がノロノロと長時間居座って
影響も相次いでいます
昨日はドーラの2回目の月命日
季節に相応しい花💐をありがとうという気持ちを
込めてお供えすることが私流の命日のとらえ方
で
あゝもう2か月、長いような短かかったような日々
ドーラのいなくなった淋しさを紛らわせる為に
ネットでペットのメモリアルグッズをググっていた
日々も
ドーラの遺髪を取り出して、そっと撫でてみたり
あゝドーラの柔らかい毛、ドーラを抱いていた時の
温かな感触くよみがえって来て
ペットの死のとらえ方
ドーラが幼なかった頃に幸せな犬🐕の育て方
なんて云う内容の本を買い求めて読んでいた事も
ありました
ある本📕の中に、記憶に残る言葉が
犬は死と言うことの概念が無いので、
なんか今は眠いだけなのに、
大好きな皆んなが周りで泣いているけれど
どうしたんだろう?と思い
心配をしながら旅立って行くこともあるのですよ
そういうものかしらと
ドーラが夢の中に
ドーラが2回ほど部屋の中を動き回っている気配を
感じたこともありました
ドーラの初めての月命日というブログを投稿して
4〜5日目くらい後に、
私が昼間ソファー🛋️でまどろんでいると
ドーラがいつものようにドア🚪の前で"開けて"と
私を見て目で合図を送っているのです
"はい、すぐ行くから待っててね"と立ち上がろうと
したら、夢😴から覚めてしまって
あ〜懐かしい(未だ1ヶ月しか経っていないのに)
ドーラが居た日々が蘇ってきて
あゝこんな風に毎日過ごしていたのだったんだわ
(ドーラの居ない空虚の日々から)
ふわっとした優しい空気に包まれたシアワセな
気持ちの日に
ところがそんな気持ちは長くは続かず、
ドーラはここから出て新たな世界に行きたかった
のだという考えに思い至って
ドーラは自ら別れの意思を私に伝えてくれていた
のだと
甘えん坊のドーラが、
色々あったけど頑張った16歳8か月
楽しかったこともいっぱい経験したし
もうワタシのここでの犬生は完結したの
だからワタシはここから出て行くのと
こんな風に夢に出てくるなんてドーラらしいね
なんかお別れの夢なんて寂しいけれど
ドーラがいつまでもここでの生活を懐かしんでいる
夢より、
空の上を、草🌱の上をあちこち自由に走り回って、
時々私たちのところに会いに来てくれるような
私を安心させてくれる夢なのだと
思い出すと涙、ドーラのことを話せば涙声
の私ですが、
もうドーラは私の手を離れて新たな旅立ちを
したのだと
私の好きな詩
8/10 新川和江 (95) 死去を報道で知り驚きました
まだ自立する女性が珍しかった時代に、
自由を願うおおらかな詩"わたしを束ねないで"
を書かれた詩人
中学三年生の教科書に載っていたことも
わたしを束ねないで
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)のいなづま
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしはばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や .(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする
手紙のようには
こまめにけりをつけないでください
わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく拡がっていく
一行の詩
いつの時代でも自分らしく生きていたものですね
気ままに生きていると言う方がピッタリのような
私なんのですが
ドーラはほんとうに可愛い仔でした
1〜2歳の頃は私たちの言葉や行動を必死に理解
しょうと
分からない時は右・左と首をかしげて
その姿の可愛いかったこと
言葉は喋れませんがなんでも私の話す事、
することは全て分かっていたのです
育てたように
子は育つ
相田みつを
ドーラは私が育てた仔
だからやっぱり自由が好き
自由に羽ばたいて行ったのよね
さようならドーラ、
いつまでも忘れないからね
もうこれ以上の台風🌀の被害が出ませんように
では皆さまが穏やか日々に一日も早く戻れ
ますように
佳き日を