皆さま こんばんは
6人に1人の子供が満足に食事が
今朝もカーテンを開ければ、雨でした。
関東地方は長雨が続いています
40年振りのようです
夏は何処に。
先月にやっとクレイの花のお教室で
仏花が完成致しまた。
私の好きな都忘れの花を入れて。
仏壇に飾ってあります。
今年の終戦記念日は終わりましたが、
戦後72年、だんだん戦争体験を
生の声で聞ける機会も少なくなって、
語り継いで欲しいと願う体験者の思いを
忘れてはいけないと八月になると思うの
です
戦争の悲惨さ、平和の存続を
「戦争が大嫌い、大嫌い」
「正義の戦争なんて、どこにもないんだ。
正義とは何かといえば、人を助ける
ことなんだ」
やなせたかし
戦闘は恐ろしかった、
殴られれば痛かった。
しかし、それよりも辛かったのは
食料が乏しいことです。
人間がもっとも苦しいのは空腹と飢え
なのだというのは、僕に限らず、
この時代を体験している人の多くが
感じていると思います。
飢えているときに、
自分の身を犠牲にしてでも
食べさせてくれる人が、
人間にとって一番ありがたい。
やなせたかし
五年くらい前に、市原悦子さんの朗読を
聞きに行きました時に、
やはり戦争中は
「私達子供はみんないつもお腹がすいて
いて、
よその家の庭になっている果物を羨ま
しく眺めて過ごしていました」
と話されていました
我が家に贈られてきたものですが、
皆さまのブログを拝読していますと、
思わずヨダレが出そうな美味しそうな
食べ物がいっぱい
飽食の時代と言われている現在に、
子供の貧困
6人に1人の子供が満足に食事が
摂れていないという現実も
終戦後の上野の地下道は浮浪児であふれ、
数え切れない子供たちが餓死し、
凍死しました、
当時5年生だった男の子は、
生きていないと親に会えないと思い、
盗みを始めたと打ち明けてくれました、
何日も何も口にできず、
「お母さん、どこにいるの」と言った
翌日、隣りで冷たくなっていた、と。
戦争で親を奪われた戦争孤児は、
戦後史に埋もれた存在。
戦争孤児の会代表
金田 茉莉さんの話
(朝日新聞から)
先日の新聞に、
40代前半の女性の方が、
戦争の悲惨さを子供に伝えたいと思い
本屋に絵本を買いに行くと、
4〜5冊しか置いていなかったと投稿
されていました。
私自身を振り返れば、
4歳くらいのわんぱく盛りの二男に、
絵本 千羽づるの願い
を何回も何回も読んだ記憶があります。
もちろん息子のリクエストです。
数ある絵本の中で、
2歳で被爆した禎子さんが生きたいとい
う願いを込めて鶴を折り続けた話に、
(原爆が投下された時の様子も描かれて
いました)
心を動かされた息子の成長が感慨深い
ものでした
アノネ
親は子供をみているつもりだけれど
子供はその親をみているんだな
親よりも
きれいな
よごれない
眼でね
みつを
の方達も4歳くらいの
知能はあるようですよ。
喋れないだけで何でもお見通し。
悲しい思いをさせないようにしなくては
ね〜
な私なのですが、
下は息子が母の日に贈って来ました
プリザーブドフラワーのアレンジメント
の写真ですが、
同じような色合いにビックリ
息子も私を見ていたようです
あっ、少しお年を召したご婦人を
忘れていました。
玄関ホールがドーラの今のお気に入りの
場所
私を見張るには一番良い場所らしいです。
7/31に病院に薬を頂きに行きました。
食欲もあり、体重も増加してましたので
検査はありませんでした。
順調に回復していると思っておりました
ら、
8/5の夜に突然嘔吐し、
一晩中苦しそうにしていましたので、
翌日病院に
血液検査の結果は良くなっていましたが、
ALP 1479→ 769(基準値23〜212)
本当に心配しました
なやみはつきねんだなあ
生きているんだもの
みつを
未だ皆さまのブログに辿りつけない
私で、申し訳ありません
忘れられないうちにお訪ね致します
ので、よろしくお願い致します。
早く雨も上がり、雨傘ではなく、
日傘を差して歩きたいですね〜。
では、皆さまの明日が、
今日より佳き日でありますように