イタリアが正式に、培養肉の製造や輸入等を法律で禁止することを発表しました。
その背景には
自然の食品を、合成食品の台頭から守る…
国民の食の文化に危険な影響を与えてしまう…
などといったものでした。
ちなみに培養肉に加え、コオロギやイナゴを主原料とした食品の禁止も打ち出している。
僕は
“お肉を減らしてプラントベースな食生活へ…“
という啓発だけでは、とてもこの飽和しきった食肉文化は変わらない…と思っていて、そこには肉を食べ続けたい人のために、本物の肉に取って代わる肉でも無ければ…という考えでした。
そこへ数年前から存在を知った“培養肉“というものが、本物の肉に替わるにはうってつけの存在なんだ…と。
しかし、現段階でシンガポール、アメリカが培養肉の製造を許可しているとはいえ、人工的に肉を作るなど
自然の摂理にはあり得ない行為なのは確か。
予測不能なリスクや人体への影響…それらが潜む可能性ははっきり言って計り知れないわけです。
かといって、イタリアが現在のまま畜産業を推し進めているのか、といえば、そうではない。
イタリアはじめ、ヨーロッパ圏内は畜産業、アニマルライツ、アニマルフリーに対する考えは日本よりはるかに進んでいる…進んでいるというよりは国全体がそれらをより、真剣に考え対策に取り組んでいると言い切れる。
ミートフリーマンデーを設けたり、食肉産業以外でも、毛皮産業を撤廃したり…
ヴィーガンの割合も比較的、他国に比べ多い国でありベジタリアンやヴィーガンショップが珍しくない国であること…
つまりは今の畜産業、動物産業が環境に与える影響の大きさや、昔は良しとされてきた産業も時代が必要としないということを懸念材料としているという証拠。
培養肉が救世主ではないよ、ということなのです。
それがすべての解決策ではなくて、一人ひとりの思考が変わること。
自分達が思い込んでるほど、肉が必要ではないし、健康で幸せな生活にはソレがなくても問題ないんだよ。
という風に気づけること。
と同時に、こんな事までして食べる肉じゃない…ってこと。
そういう境地にいろんな人が行き着くことが食肉産業を変えるマストな点だということですね。