コンプライアンスの時代・・・・。
かろうじてなんとかついて行ってる昭和のしょーちゃんです(^^)
麻雀を覚えた経緯も「麻雀できないなら仲間に入れてやらねぇ」の一言。
先輩に教えてくださいと言っても自分で勉強しろと言われました。
本屋で「麻雀の教科書」みたいなのを買って必死で覚えました。
今から40年前・・・今とは違って雀荘はオンレートならピンが普通。
0.5なんてほとんどありませんでした。
覚えたらどんどん面白くなってハマっていきます。
しかしすべからく手元にお金が消えていくのです。
今日は私の麻雀史40年をチラッとお話しします。
1984年。20歳の私は先輩に無理やり誘われ、麻雀を覚えることに。
本で覚えるってことがどれほど難しいか。
それでもなんとかルールは把握していたことで「いざ実践!」
中の対子で「ロン!ピンフドラドラ」と牌を倒すと
「はいはい!2000-4000ね!」
「え?あのぅ3900点ですけど」
先輩はニヤニヤしながら「お前が払うんだよ」
そう、役無しのチョンボってことです。
初心者だからって許してくれず、その日は半荘3回だけでしたが7000円も取られました。
当時は手積みでレートは0.5でした。
その後、母の関係で名古屋へ。
名古屋では今池に雀荘が集まっています。
自動卓がすっかり定着した麻雀界。
レートは1.0(ピン)のワンツー。
0.5なんてありません。
そこそこ学習してきた私でしたが毎回2万円近く負け。
週に1回程度でした。
そんな私がものすごくツキに恵まれた日があってその日は3万円超えの収入。
でもそれっきり。
「はよぅ切りゃぁ」とよく言われたものです。
恐らく名古屋では総額30万くらいは負けてます(;^_^A
大阪ではいろいろ経験しました。
カンサキ・・・完全先付けのルールには手を焼きました。
たとえば
❷❸❸❸四五六六七八345
ドラは六万。待ちは❶❷❹で❶or❹が出ればピンフ、❷が出ればタンヤオ。
ダマにしていた私は❹が出たのでタンピンドラドラで満貫!と手を開くとチョンボと言われる。
完全先付けではこれはダメ。
王手飛車という形もダメ。
そして関西ではピンフとツモを同時に数えないため、1300-2600は1000-2000になり、跳満は満貫になるのです。
七対子ドラドラは8000点・・・意味不明でした。でも地域の特性なんでしょうね。
またブー麻雀はもう最悪。
店によってはマルAでしか認めないってことも。
マルAとは一人浮きってこと。二人浮きはNG、チョンボってことなんです。
広島の三人麻雀では現物以外ならフリテンロン和了りOK。
今はそんな店あるのかなぁ。
なんだかんだで40年。
麻雀はやっぱりメンタル競技ですね。