( JUNCORO Official Facebookページ 6月30日の投稿より転載 )
【愛がどうした】
例えば、スピ系の悟りの話なんかでありがちな、「全ては愛だ」「本当のあなたは愛なんだ」なんて事を言われると、人は愛という言葉を知っているので、愛を自分なりにイメージできるもの、知っているものとして理解する。
理解できるので、本当の私は愛そのものだ、という答えを得た気になって、その時限りの安心を得る。(もちろん実際は何かを得れる人は居ない)
そして、それが「本当の自分」なんて言って、なにか素晴らしい存在を想像して、ほくそ笑む。(笑)
更に「本当の私」は、全てを創造する者として仕立てあげられ(笑)
まるで、今このように現れているこれの外側もしくは根底に、そんな創造主のような本当の私が居ると妄想し、それを探し続ける。。
意識や気づきという、ただの思考の産物に、その妄想を投影して、それで在ろうとする。
実際は、愛という言葉が本当に指しているものは、私達には理解不可能なものなのに。
コレは、知ることもできないし、理解することもできない。
というより、その必要がない。
すでにコレ。